ブーログ › アラカンは今日も行く〜!|フューネ三浦一夫のブログ
2011年01月20日
顧客満足度の証はリピーター率にある
いわゆる、サービス業は、顧客にサービスを提供する。
その結果、その提供内容から適正な利潤が生じ
企業やそこで働く人々の生活を豊かにする。
そして、それが継続して、より良いサービスを
顧客に提供できるのである。
これこそが、良好なサイクルなのだが
さて、自分たちが提供しているサービスが
顧客を本当に満足させているだろうか。
そのことを、常に真剣に考え、向上させる努力を
しているか否か。すべては、そこに係っている。
ビジネスの本質は、相反する利益を同じ方向に向けること
なのであるが、売る側の本音は、できるだけ高く売りたい…
買う側の本音は、できるだけ安く買いたい…ということ。
簡単に言ってしまえば、利益は相反しており
天と地ほどの隔たりがある。
そこで、間の橋渡し(引継ぎ)をしてくれるのが
顧客満足度という唯一の道なのである。
「サービス」に満足すれば
お客様は「それに見合ったお金」を払ってくれる訳だ。
満足度が高ければ、必ず、永遠に続くものと確信する。
永久不滅の根本原理と言っても過言ではない。
応援してくれる人々の魂が、集団となって
より一層、リピーター率を高めてくれるであろう。
お蔭様で、フューネの歴史は、この種、一つひとつを
大切に植え続けてきた40年の月日であり
成果として、いまだに、高いリピーター率を
保持し続けているのである。
驚異的数値を維持し続けていることは、唯一の自慢点であり
「お客様、応援、誠に、ありがとうございます!」
加えて、我が社の従業員の皆さん
貴方たちのモチベーション高い力に心から感謝するものです。
新年早々、お蔭様で忙しい日々であります。
今年も、皆一丸となり
「FUNE=船」に乗って、出航ですぞ~!
その結果、その提供内容から適正な利潤が生じ
企業やそこで働く人々の生活を豊かにする。
そして、それが継続して、より良いサービスを
顧客に提供できるのである。
これこそが、良好なサイクルなのだが
さて、自分たちが提供しているサービスが
顧客を本当に満足させているだろうか。
そのことを、常に真剣に考え、向上させる努力を
しているか否か。すべては、そこに係っている。
ビジネスの本質は、相反する利益を同じ方向に向けること
なのであるが、売る側の本音は、できるだけ高く売りたい…
買う側の本音は、できるだけ安く買いたい…ということ。
簡単に言ってしまえば、利益は相反しており
天と地ほどの隔たりがある。
そこで、間の橋渡し(引継ぎ)をしてくれるのが
顧客満足度という唯一の道なのである。
「サービス」に満足すれば
お客様は「それに見合ったお金」を払ってくれる訳だ。
満足度が高ければ、必ず、永遠に続くものと確信する。
永久不滅の根本原理と言っても過言ではない。
応援してくれる人々の魂が、集団となって
より一層、リピーター率を高めてくれるであろう。
お蔭様で、フューネの歴史は、この種、一つひとつを
大切に植え続けてきた40年の月日であり
成果として、いまだに、高いリピーター率を
保持し続けているのである。
驚異的数値を維持し続けていることは、唯一の自慢点であり
「お客様、応援、誠に、ありがとうございます!」
加えて、我が社の従業員の皆さん
貴方たちのモチベーション高い力に心から感謝するものです。
新年早々、お蔭様で忙しい日々であります。
今年も、皆一丸となり
「FUNE=船」に乗って、出航ですぞ~!
Posted by 三浦一夫 at 08:34
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2011年01月03日
コミュニケーションの手段
明けましておめでとうございます。
新しい年の始まりをどのようにお過ごしでしょうか。
この年始の挨拶を、メールを利用して済ませる人が
ずいぶん増えているようであるが
私は、60代とはいえ
今時珍しい存在なのであろうか
メール送信をほとんどしないのである。
送られてくるメールを見るのみ…。
送信するのは、事務連絡と緊急事態の時だけである。
コミュニケーションの方法によっては
コストの多少とそれなりのメリット、デメリットが
生じるのであるが、相談事を含め、用事はほとんど
対面でのコミュニケーションと決めているのだ。
勿論、自筆の挨拶状=手紙はとても大切なコミュニケーション
だと思っているのだが。
対面方式であれば、相手の反応、多様な情報を肌に感じながら
ニーズをつかむことができるのだ。
しかし、直接、答えてはならない問題や、曖昧な返事では
誤解を生じるというデメリットも確かにある。
その点、メールは、様子をうかがいながら
文章さえ上手に書けば、正確にタイミング良く
しかも、すばやく、相手に伝わるものであろう。
時間調整をする必要もなく、コストの面でも安い。
しかし、なんでもかんでもメール…、というのは
いかがなものか!
今や、一日、起きている間中、メールのチェック病に罹り
人と対話をしている時でさえ、また、恋人とデートの最中にも
平気でメールに熱中する人が増えているようだ。
私自身も、幾度となく目にする情景である。
これでは、対話の用語も減り、魅力的な話し言葉が
欠乏するのも当然であろう。
…という話題から始まった2011年。
対面式コミュニケーションを大切にしたい新年である。
ブログ上だけでなく、ぜひ、対面でトークをお望みの方
いらっしゃいましたら、かず君、いつでもお待ちしておりますぞ。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
新しい年の始まりをどのようにお過ごしでしょうか。
この年始の挨拶を、メールを利用して済ませる人が
ずいぶん増えているようであるが
私は、60代とはいえ
今時珍しい存在なのであろうか
メール送信をほとんどしないのである。
送られてくるメールを見るのみ…。
送信するのは、事務連絡と緊急事態の時だけである。
コミュニケーションの方法によっては
コストの多少とそれなりのメリット、デメリットが
生じるのであるが、相談事を含め、用事はほとんど
対面でのコミュニケーションと決めているのだ。
勿論、自筆の挨拶状=手紙はとても大切なコミュニケーション
だと思っているのだが。
対面方式であれば、相手の反応、多様な情報を肌に感じながら
ニーズをつかむことができるのだ。
しかし、直接、答えてはならない問題や、曖昧な返事では
誤解を生じるというデメリットも確かにある。
その点、メールは、様子をうかがいながら
文章さえ上手に書けば、正確にタイミング良く
しかも、すばやく、相手に伝わるものであろう。
時間調整をする必要もなく、コストの面でも安い。
しかし、なんでもかんでもメール…、というのは
いかがなものか!
今や、一日、起きている間中、メールのチェック病に罹り
人と対話をしている時でさえ、また、恋人とデートの最中にも
平気でメールに熱中する人が増えているようだ。
私自身も、幾度となく目にする情景である。
これでは、対話の用語も減り、魅力的な話し言葉が
欠乏するのも当然であろう。
…という話題から始まった2011年。
対面式コミュニケーションを大切にしたい新年である。
ブログ上だけでなく、ぜひ、対面でトークをお望みの方
いらっしゃいましたら、かず君、いつでもお待ちしておりますぞ。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
Posted by 三浦一夫 at 22:41
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2010年12月19日
初めての収穫
9月初めに植え付けをした野菜たちが
一斉に収穫の時期を迎えた
。
キャベツに白菜、サンチェ、エンドウ、ブロッコリー等々
沢山の宝物を得た。
できるかぎり、自然のままでの大いなる成長を期待したけれど
現実は厳しく、次から次への虫の襲来には、迷惑千万。
負けるわけにはいかない虫との格闘がどれほど続いたことか。
おかげさまで、新芽は成長し、日を追って伸びる姿に、
ただただ、感嘆するばかりであった。
そして、なんと正直な野菜たちであることか。
手をかけ、愛情を注げば、初めての作付けでも何とかなるものだ。
そのうえ「食」として、私の口に入り
このうえない満足感を与えてくれる。
ところで、来春の楽しみのひとつに「いちご」の収穫がある。
しかも、何種類ものいちごを植えてみたのだ。
大げさに言えば、かず君農園での「いちご狩り」と言うべきか…。
先日、成長の度合いを見守る中、一粒のいちごが、すでに
立派な赤い実となっていることを発見した。
「ぼけ咲き」と言っては、いちご様に失礼であろう。
きっと、私の期待を予見して、こんなにも早く熟し
顔を見せてくれたのであろう。有難いことである。感謝!感謝!
それこそ、害虫に狙われないように見張り、味わってみようと
心躍らせている日々である。
「ああ、愛しい野菜、果実たちよ!」
60を過ぎての、わくわくしながらの初体験である。
かたや、人間の成長となると、なかなか
目に見えてかたちにならぬものであり
人を育てることの難しさを
あらためて、思い知る
今日この頃でもあるのだ。
一斉に収穫の時期を迎えた

。キャベツに白菜、サンチェ、エンドウ、ブロッコリー等々
沢山の宝物を得た。
できるかぎり、自然のままでの大いなる成長を期待したけれど
現実は厳しく、次から次への虫の襲来には、迷惑千万。
負けるわけにはいかない虫との格闘がどれほど続いたことか。
おかげさまで、新芽は成長し、日を追って伸びる姿に、
ただただ、感嘆するばかりであった。
そして、なんと正直な野菜たちであることか。
手をかけ、愛情を注げば、初めての作付けでも何とかなるものだ。
そのうえ「食」として、私の口に入り
このうえない満足感を与えてくれる。
ところで、来春の楽しみのひとつに「いちご」の収穫がある。
しかも、何種類ものいちごを植えてみたのだ。
大げさに言えば、かず君農園での「いちご狩り」と言うべきか…。
先日、成長の度合いを見守る中、一粒のいちごが、すでに
立派な赤い実となっていることを発見した。
「ぼけ咲き」と言っては、いちご様に失礼であろう。
きっと、私の期待を予見して、こんなにも早く熟し
顔を見せてくれたのであろう。有難いことである。感謝!感謝!
それこそ、害虫に狙われないように見張り、味わってみようと
心躍らせている日々である。
「ああ、愛しい野菜、果実たちよ!」
60を過ぎての、わくわくしながらの初体験である。
かたや、人間の成長となると、なかなか
目に見えてかたちにならぬものであり
人を育てることの難しさを
あらためて、思い知る
今日この頃でもあるのだ。
Posted by 三浦一夫 at 13:29
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2010年11月28日
呼び出しボタンの役割
仕事で移動中、昼食に
ファミリーレストラン(以下ファミレス)を利用することがある。
広いスペースにテーブルや椅子が配置され
満席時には、相当の客で混雑する。
店に入ると、アルバイトの店員らしき人物が席に案内し
水を運び、マニュアルにそった挨拶の言葉をかける。
そして、最後に
「ご注文がお決まりになりましたら、このボタンを押してください」と言うのである。
必ず、テーブルの隅には「呼び出しボタン」が設置されている。
長く続くデフレのもとで、店側としては、利益確保の為、必死だ。
数少ない店員で多くの客に対応する為には
この呼び出しボタンが活躍するのだ。
ある時、ふと、
「このボタンを押さないと、注文を取りに来ないのだろうか?」と
疑問をもち、ボタンを押さずに待ってみた。
意地悪なことを試みたのだが、やはり、いくらたっても、来る気配が
なかった。これ、ホント~のお話。
少人数のスタッフでのメリットある運営方法とはいえ
デメリットもあるのだ。
店員が「呼ばれたら行く」ではなく「呼ばれなければ行かない」という習慣を、より一層強化してしまった結果ではないだろうか。
ずいぶん、値打ちなメニュー価格のファミレスの実態ではあるが
飲食をサービスする仕事である以上
常に、客の動向に注目しながら、三配(目配り・気配り・心配り)を忘れてはならないのだ。
「ちょっと~、チョット、チョット~、いつまで、私を待たせるのよ~。」そんな小言が、聞こえてくるようである。
便利なツールへと急変する世の中ではあるが
お客様目線は、時に厳しく、実に鋭いもの。
もちろん、フューネの諸君!
他人ごとではありませんよ。
君たちも、常に自らの足元を見つめ、省みることが肝要ですぞ。
ファミリーレストラン(以下ファミレス)を利用することがある。
広いスペースにテーブルや椅子が配置され
満席時には、相当の客で混雑する。
店に入ると、アルバイトの店員らしき人物が席に案内し
水を運び、マニュアルにそった挨拶の言葉をかける。
そして、最後に
「ご注文がお決まりになりましたら、このボタンを押してください」と言うのである。
必ず、テーブルの隅には「呼び出しボタン」が設置されている。
長く続くデフレのもとで、店側としては、利益確保の為、必死だ。
数少ない店員で多くの客に対応する為には
この呼び出しボタンが活躍するのだ。
ある時、ふと、
「このボタンを押さないと、注文を取りに来ないのだろうか?」と
疑問をもち、ボタンを押さずに待ってみた。
意地悪なことを試みたのだが、やはり、いくらたっても、来る気配が
なかった。これ、ホント~のお話。
少人数のスタッフでのメリットある運営方法とはいえ
デメリットもあるのだ。
店員が「呼ばれたら行く」ではなく「呼ばれなければ行かない」という習慣を、より一層強化してしまった結果ではないだろうか。
ずいぶん、値打ちなメニュー価格のファミレスの実態ではあるが
飲食をサービスする仕事である以上
常に、客の動向に注目しながら、三配(目配り・気配り・心配り)を忘れてはならないのだ。
「ちょっと~、チョット、チョット~、いつまで、私を待たせるのよ~。」そんな小言が、聞こえてくるようである。
便利なツールへと急変する世の中ではあるが
お客様目線は、時に厳しく、実に鋭いもの。
もちろん、フューネの諸君!
他人ごとではありませんよ。
君たちも、常に自らの足元を見つめ、省みることが肝要ですぞ。
Posted by 三浦一夫 at 10:37
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2010年11月21日
四季を彩る
先代が花屋であった為、幼い頃から、私のまわりには
いつも、花木や花々があり、美しく、咲き誇っていた。
しかし、それは、あくまでも大切な商品であり、
愛でたり、自宅に飾って楽しむ余裕など、
全く無いことが常であった。
20歳の頃、やがて、役に立つであろうと、
茶華道の先生に師事し、幾度となく稽古に通ったことを
今になって、なつかしく思い出すのであるが
あれから40年…。
まさか、こんなに興味深く「花を活けること」を
身近に感じるようになるとは、想像だにしなかった。
四季をふり返れば
この趣味と特技を活かし、フューネの各会館において
お客様へのおもてなしの一環として
「季節の花」や「一服のお茶」をテーマに
しつらえ、お迎えの裏方を務めてきた一年でもあった。
春、夏、秋、冬と美しい自然に恵まれている、この国の風情ではあるが
その中でも、秋、特に晩秋の風景は格別。
せつなさ、わびしさに、心を引きつけられるものである。
花材として、ススキ、女郎花、藤袴、大好きな吾亦紅などが
市場に並んだ瞬間、創作意欲が高まる、かず君なのだ。
そして、作品が完成すれば、その一つひとつに命名するのも楽しいもの。
「里山の晩秋」「秋風の響き」「秋深し朝の夢」「枯野の虫の音」…等々
できあがりの後、想いのままに作品名を付け、館内のあちこちへと飾る。
お客様が目に留め、心に留めてくださった時は、
かず君、ヒジョ~に、ウレシ~イ!
時には作品の前で
「この季節の花を、柩に手向けて、送りたい」などと口にされる
ご遺族もおいでになり、花束にしてご用意をすることも。
お役に立てて、最高に嬉しい瞬間である。
別れの日、故人の生きた証としても
季節の彩りは大切なものだ。
そして、何より、ご遺族にとっては
メモリアルとして、めぐり来る季節の始まりなのである。
いつも、花木や花々があり、美しく、咲き誇っていた。
しかし、それは、あくまでも大切な商品であり、
愛でたり、自宅に飾って楽しむ余裕など、
全く無いことが常であった。
20歳の頃、やがて、役に立つであろうと、
茶華道の先生に師事し、幾度となく稽古に通ったことを
今になって、なつかしく思い出すのであるが
あれから40年…。
まさか、こんなに興味深く「花を活けること」を
身近に感じるようになるとは、想像だにしなかった。
四季をふり返れば
この趣味と特技を活かし、フューネの各会館において
お客様へのおもてなしの一環として
「季節の花」や「一服のお茶」をテーマに
しつらえ、お迎えの裏方を務めてきた一年でもあった。
春、夏、秋、冬と美しい自然に恵まれている、この国の風情ではあるが
その中でも、秋、特に晩秋の風景は格別。
せつなさ、わびしさに、心を引きつけられるものである。
花材として、ススキ、女郎花、藤袴、大好きな吾亦紅などが
市場に並んだ瞬間、創作意欲が高まる、かず君なのだ。
そして、作品が完成すれば、その一つひとつに命名するのも楽しいもの。
「里山の晩秋」「秋風の響き」「秋深し朝の夢」「枯野の虫の音」…等々
できあがりの後、想いのままに作品名を付け、館内のあちこちへと飾る。
お客様が目に留め、心に留めてくださった時は、
かず君、ヒジョ~に、ウレシ~イ!

時には作品の前で
「この季節の花を、柩に手向けて、送りたい」などと口にされる
ご遺族もおいでになり、花束にしてご用意をすることも。
お役に立てて、最高に嬉しい瞬間である。
別れの日、故人の生きた証としても
季節の彩りは大切なものだ。
そして、何より、ご遺族にとっては
メモリアルとして、めぐり来る季節の始まりなのである。
Posted by 三浦一夫 at 08:18
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2010年11月07日
趣味の農園
今年8月より、70坪あまりの土地を借りて
小さな農園の主(ぬし)となった。
私の趣味の一角を占めることにも…。
若かりし頃、手伝った経験があるとはいえ初体験の連続。
すべて「体力と根気だ!」と始めたつもりであったが
正直、こんなに大変だとは思わなかったなあ
。
まずは、長くのびた(1メートル程にも)草を刈り
鍬とスコップで耕すことから始めた。
特に、今年の夏は異常気象であり、朝、5時から6時半までの
1時間半の作業で、体は、もう~、へとへと状態
。
よくぞ、熱中症で倒れなかったものだ。
9月半ば、やっと、暑さも落ち着き
畝をつくり、苗を植えて、やれやれであった。
秋なす、秋トマト、サンチェにいちご、大根、白菜
とうもろこしにパセリやキャベツ、等々
あれもこれもと作付けをした。
その結果、今、ぼちぼちと待望の早取りの時期を
迎えているのだ。楽しみですなあ~!
美味しい新芽を、次から次へと虫たちに襲われ
一部に農薬を散布したが、基本的には農薬を使わない。
虫取りに手間がかかっても、自然農法を体験したいものだ。
害虫にも手を焼くが、それより何より
雑草はなぜ、あれほどに強いのだろう?
雨が降れば、すぐのびる。降らなくても、すぐのびる。
草の大群は恐ろしい相手であり
ちょっとサボれば、畑は草だらけという有り様だ。
昔から「農業は草との闘い」と言われているが
まさにそのとおり。
実際に体験してみると、その事実に驚くばかり。
「お百姓さん、本当に有り難う!」と
改めて、感謝するばかりのこの頃である。
ところで、フューネの諸君!
朝6時の定期連絡、電話の向こうで
片手に鍬を持って、畑に向かう
かず君の姿を想像することはできないだろうねえ…
。
小さな農園の主(ぬし)となった。
私の趣味の一角を占めることにも…。
若かりし頃、手伝った経験があるとはいえ初体験の連続。
すべて「体力と根気だ!」と始めたつもりであったが
正直、こんなに大変だとは思わなかったなあ
。まずは、長くのびた(1メートル程にも)草を刈り
鍬とスコップで耕すことから始めた。
特に、今年の夏は異常気象であり、朝、5時から6時半までの
1時間半の作業で、体は、もう~、へとへと状態
。よくぞ、熱中症で倒れなかったものだ。
9月半ば、やっと、暑さも落ち着き
畝をつくり、苗を植えて、やれやれであった。
秋なす、秋トマト、サンチェにいちご、大根、白菜
とうもろこしにパセリやキャベツ、等々
あれもこれもと作付けをした。
その結果、今、ぼちぼちと待望の早取りの時期を
迎えているのだ。楽しみですなあ~!

美味しい新芽を、次から次へと虫たちに襲われ
一部に農薬を散布したが、基本的には農薬を使わない。
虫取りに手間がかかっても、自然農法を体験したいものだ。
害虫にも手を焼くが、それより何より
雑草はなぜ、あれほどに強いのだろう?
雨が降れば、すぐのびる。降らなくても、すぐのびる。
草の大群は恐ろしい相手であり
ちょっとサボれば、畑は草だらけという有り様だ。
昔から「農業は草との闘い」と言われているが
まさにそのとおり。
実際に体験してみると、その事実に驚くばかり。
「お百姓さん、本当に有り難う!」と
改めて、感謝するばかりのこの頃である。
ところで、フューネの諸君!
朝6時の定期連絡、電話の向こうで
片手に鍬を持って、畑に向かう
かず君の姿を想像することはできないだろうねえ…

。
Posted by 三浦一夫 at 07:27
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2010年10月30日
羨ましいのはヤドカリだ。
地元に根付いて生きてきたこともあり
この歳になって、懐かしい同級生に、仕事中の葬儀会館内で
出逢うこともしばしば。
いつまで経っても、お互い、あの頃の「○○君」である。
悲しみの中でのお手伝いの最中とはいえ、
40年以上の時を越えて、良き学生時代が、真に蘇り
あっという間の楽しいひと時となる。
その楽しさは、ビジネスの世界からも離れ
損得なしに、子供の頃の「素の状態」に還っている。
昨今、プライドや誇りといったものが、重要視される世の中であり
社会に一歩踏み出した途端に、身にまとう「プライド」という殻で
知らず知らずのうちに、自分自身を覆ってしまうハメに…。
自分を守る為、何かを隠す為、様々である。
しかし、それは、生まれた時には全く無かったものであり
久しぶりの同級生との再会には、
「プライド」という殻を脱ぎ捨て、自然な心で、時を楽しめるもの。
つらつら思うに、私自身、社会に出て以来
「プライド」の殻が厚く、ずいぶん、重くのしかかっていたものだ。
己の身の丈に合った「殻」であったならば…という反省の念でもある。
自らの快適な状態を保つべき、プライドの「殻」の厚さや大きさを
それは、ヤドカリが自由に住処を変えるがごとくに
選ぶ技が必要であったなあ…と。
ヤドカリの生き方を羨ましく思う瞬間である。
世間体がどうだとか、馬鹿にされたくないだとか
そんな、プライドとは、さっさとおさらばして
より良い人生を見い出すことにエネルギーを使うべき。
そこに、きっと、充実した時を得ることができるのでは…。
それにしても、久しぶりに逢う同級生は
ともに還暦を迎え、身体の変化などお互いさま。
「久しぶりだなあ、○○君!元気そうで何より。」
この挨拶も
「あんた誰? 同級生だってえ? ○○君?」
「知ら~ん。 わからん。 覚えとらん。
」
お互い、そんな日が来ないことを祈るのみですなあ。
この歳になって、懐かしい同級生に、仕事中の葬儀会館内で
出逢うこともしばしば。
いつまで経っても、お互い、あの頃の「○○君」である。

悲しみの中でのお手伝いの最中とはいえ、
40年以上の時を越えて、良き学生時代が、真に蘇り
あっという間の楽しいひと時となる。
その楽しさは、ビジネスの世界からも離れ
損得なしに、子供の頃の「素の状態」に還っている。
昨今、プライドや誇りといったものが、重要視される世の中であり
社会に一歩踏み出した途端に、身にまとう「プライド」という殻で
知らず知らずのうちに、自分自身を覆ってしまうハメに…。
自分を守る為、何かを隠す為、様々である。
しかし、それは、生まれた時には全く無かったものであり
久しぶりの同級生との再会には、
「プライド」という殻を脱ぎ捨て、自然な心で、時を楽しめるもの。
つらつら思うに、私自身、社会に出て以来
「プライド」の殻が厚く、ずいぶん、重くのしかかっていたものだ。
己の身の丈に合った「殻」であったならば…という反省の念でもある。
自らの快適な状態を保つべき、プライドの「殻」の厚さや大きさを
それは、ヤドカリが自由に住処を変えるがごとくに
選ぶ技が必要であったなあ…と。
ヤドカリの生き方を羨ましく思う瞬間である。
世間体がどうだとか、馬鹿にされたくないだとか
そんな、プライドとは、さっさとおさらばして
より良い人生を見い出すことにエネルギーを使うべき。
そこに、きっと、充実した時を得ることができるのでは…。
それにしても、久しぶりに逢う同級生は
ともに還暦を迎え、身体の変化などお互いさま。
「久しぶりだなあ、○○君!元気そうで何より。」
この挨拶も
「あんた誰? 同級生だってえ? ○○君?」
「知ら~ん。 わからん。 覚えとらん。
」お互い、そんな日が来ないことを祈るのみですなあ。
Posted by 三浦一夫 at 08:12
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2010年10月20日
言われたくない挨拶「お疲れ様」
最近、社員と、挨拶用語の練習をしたり
おもてなし用語の勉強をしたりと
前向きな行動を共にしている。
が、その中にあって、そうは言われたくないなあ…と
いう場面が「理事長~、お疲れ様で~す」
という言葉で迎えられる時である。
本音で言えば
「私は、疲れてなんかいませんよ~っ」ということ。
頻繁に「お疲れ様で~す」と、部下から言われると、
言葉の使い方は間違っていないとはいえ、
「そんな歳でもないぞ!
」と怒りを感じてしまうことさえある。
まあ、確かにこの意味は「仕事、大変ですよねえ。お互い
がんばりましょうねえ」とエールをおくる言葉であるのだと
理解したいのだが、正直いって快く受け入れられないのだ。
相手を気遣う、極めて日本的な表現であり
美徳が表れているのではと、無理やり理解をするのである。
しかし「疲れる」という言葉自体が
非常に消極的な表現であり
前向きに事に取り組もうという時に相応しくないではないか。
また、こんな解釈もできる。
「あまり無理せず、程ほどに…」という意味合いにもなる。
そう考えると、楽しくて、わくわくするほど前向きでも
いやでいやで、辞めてしまいたいほどの後ろ向きでも
一応に「お疲れ様」の一辺倒では
いささか色気がなさすぎるというもの。
こういう時にこそ、せめて
クッションとしての用語を付け足してみたらどうだろう。
「○○さん、今日も一日、お疲れ様でした~」
「みんなで乗り切った仕事、お疲れ様でした~」等々
内容を含めての表現にしてみれば
より良い言葉、響きになると思うのである。
「理事長、今日も一日、若々しいフットワークでしたねえ。
お疲れ様でした。明日もよろしくお願いいたしま~す。」
こんなふうに言われた日にゃあ
「そ、そ、そう~かあい? かず君、明日も頑張るからねえ!」
なんてことに…ね。
おもてなし用語の勉強をしたりと
前向きな行動を共にしている。
が、その中にあって、そうは言われたくないなあ…と
いう場面が「理事長~、お疲れ様で~す」
という言葉で迎えられる時である。
本音で言えば
「私は、疲れてなんかいませんよ~っ」ということ。
頻繁に「お疲れ様で~す」と、部下から言われると、
言葉の使い方は間違っていないとはいえ、
「そんな歳でもないぞ!
」と怒りを感じてしまうことさえある。まあ、確かにこの意味は「仕事、大変ですよねえ。お互い
がんばりましょうねえ」とエールをおくる言葉であるのだと
理解したいのだが、正直いって快く受け入れられないのだ。
相手を気遣う、極めて日本的な表現であり
美徳が表れているのではと、無理やり理解をするのである。
しかし「疲れる」という言葉自体が
非常に消極的な表現であり
前向きに事に取り組もうという時に相応しくないではないか。
また、こんな解釈もできる。
「あまり無理せず、程ほどに…」という意味合いにもなる。
そう考えると、楽しくて、わくわくするほど前向きでも
いやでいやで、辞めてしまいたいほどの後ろ向きでも
一応に「お疲れ様」の一辺倒では
いささか色気がなさすぎるというもの。
こういう時にこそ、せめて
クッションとしての用語を付け足してみたらどうだろう。
「○○さん、今日も一日、お疲れ様でした~」
「みんなで乗り切った仕事、お疲れ様でした~」等々
内容を含めての表現にしてみれば
より良い言葉、響きになると思うのである。
「理事長、今日も一日、若々しいフットワークでしたねえ。
お疲れ様でした。明日もよろしくお願いいたしま~す。」
こんなふうに言われた日にゃあ
「そ、そ、そう~かあい? かず君、明日も頑張るからねえ!」
なんてことに…ね。
Posted by 三浦一夫 at 08:37
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2010年10月08日
人の運勢
戦国時代の英傑、織田信長が、商業における
無税化を計り、全国の商人を近江に集結させた
楽市楽座の制度は有名であり
近代化への橋がけとしての試策となったことは
皆の知るところである。
近江商人のセオリーとも言うべき「三方良し」という言葉は
まず「客の為に商売をする」。そして、一人の客の集合体が
社会なのだから、それは「世間の為になることをする」。
そうなると、自然に儲かり、それが「自分の為になる」。
結局、「売り手」「買い手」「世間」三方に良いということなのだ。
今やこの言葉はビジネスにおける理念ともなっており
重要な教えが詰まった言葉でもある。
また、ある意味、この教えは伝統的な教育の一環でもあるのだが
真の意味を理解するには、人生経験を重ねてこそ…とも言える。
ところで、このように、大切に、昔から語り継がれる言葉は
少なくないのであるが
皆さんは「運(うん)・鈍(どん)・根(こん)」という
言葉をご存知だろうか?
言語の発祥地はこの地方だと言われているのだが
ご存知の方「流石~!
」である。
これは、以下のような意味である。
まず、人は「運」によって大きく左右されるものである。
その「運」を切り開くには
「鈍」、つまり、とことん、正直になって理屈を言わず
ただただ、働けということ。
「根」は勿論、根気を指す。
京セラの創業者、稲盛和夫氏は
「世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めた時
それは失敗になる」と言っている。
諦めずに、幾度もチャレンジし「運」を導き出すのだ…と。
運勢とは不思議なイタズラなどと言われるが、
「運が90%」「鈍が5%」「根が5%」
単純ではあるが、こんな振り分けになるのではないか。
そして、何と言っても、人生において重要なことは
「どんな人と出逢えるのか」ということ。
時には「運命的な出逢い」などと言ったりするが
同性にしろ異性にしろ、人との出逢いが運勢を導くのである。
さて、皆さんのこれからの人生に
どんな出逢いがあるのでしょうか。
勿論、最終章とはいえ、私自身においても…。
楽しみですなあ。

無税化を計り、全国の商人を近江に集結させた
楽市楽座の制度は有名であり
近代化への橋がけとしての試策となったことは
皆の知るところである。
近江商人のセオリーとも言うべき「三方良し」という言葉は
まず「客の為に商売をする」。そして、一人の客の集合体が
社会なのだから、それは「世間の為になることをする」。
そうなると、自然に儲かり、それが「自分の為になる」。
結局、「売り手」「買い手」「世間」三方に良いということなのだ。
今やこの言葉はビジネスにおける理念ともなっており
重要な教えが詰まった言葉でもある。
また、ある意味、この教えは伝統的な教育の一環でもあるのだが
真の意味を理解するには、人生経験を重ねてこそ…とも言える。
ところで、このように、大切に、昔から語り継がれる言葉は
少なくないのであるが
皆さんは「運(うん)・鈍(どん)・根(こん)」という
言葉をご存知だろうか?
言語の発祥地はこの地方だと言われているのだが
ご存知の方「流石~!
」である。これは、以下のような意味である。
まず、人は「運」によって大きく左右されるものである。
その「運」を切り開くには
「鈍」、つまり、とことん、正直になって理屈を言わず
ただただ、働けということ。
「根」は勿論、根気を指す。
京セラの創業者、稲盛和夫氏は
「世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めた時
それは失敗になる」と言っている。
諦めずに、幾度もチャレンジし「運」を導き出すのだ…と。
運勢とは不思議なイタズラなどと言われるが、
「運が90%」「鈍が5%」「根が5%」
単純ではあるが、こんな振り分けになるのではないか。
そして、何と言っても、人生において重要なことは
「どんな人と出逢えるのか」ということ。
時には「運命的な出逢い」などと言ったりするが
同性にしろ異性にしろ、人との出逢いが運勢を導くのである。
さて、皆さんのこれからの人生に
どんな出逢いがあるのでしょうか。
勿論、最終章とはいえ、私自身においても…。
楽しみですなあ。


Posted by 三浦一夫 at 17:35
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2010年09月27日
器の大きい人
昨日の第6回FCA公開セミナーには
多くの方がご参加くださり
この場を借りて、御礼申し上げます。
講師の井形昭弘先生の
80歳を超えての矍鑠たるお姿
また、前向きにご参加くださった高齢者の皆様には
より、心から敬意を表すものであります。
さて、現役の日々をふり返る今
己の人生をドライブに例えたなら
どのようにハンドルを持つべきかを迷い
考えぬ日はなかったように思う。
がむしゃらに、ゆとりのないまま、ただ、前へ前へと
進む道を走ってきたとも言える。
若くしての起業に、とにかく、前例のないことばかりの
業務体験であり、迷い込んだ世界から出口を探して
日々、奔走し続けていた姿は、傍から見れば
どんなに、あさましく映っていたことであろうか。
まもなく、引退後、5年をむかえるのだが、
つくづく、現役時代には見えなかったもの、かたちが
見えるようになってきたこの頃である。
そんな中で、特筆すべき人生での反省点は
「責任の所在を転嫁させる自分の甘え」であったなあ…と。
社会が悪い…、社員が悪い…、お客が悪い…
などなど、きりのない責任転嫁の数々。
「己の責任である意識」が欠如していたということだ。
そして、多くの人とのご縁をいただきながら
自分にとって、都合の良い人のみとの交流を広げ、
そうでない人とは交流を望まなかった人生は
そのドライブの技術と心得において間違っていたのだと
今、素直に認めることのできる、私自身なのである。
稀に「器の大きい」と言われる人がいるが、
その人達に、共通のポイントは
人を許し、認める采配の度量が見事であることではないか。
過去を思い、反省する日々。
残す人生のドライブ時間は僅かであるが
せめて、その度量を深めるべく運転技術と心得を
習得したいものである。
…というのは、前向きな意志であるのだが、
まあ、せめて、道路を逆走したり、
アクセルとブレーキを踏み間違えることのない
「もみじマークドライバー」
かず君でありたいものだ。
多くの方がご参加くださり
この場を借りて、御礼申し上げます。
講師の井形昭弘先生の
80歳を超えての矍鑠たるお姿
また、前向きにご参加くださった高齢者の皆様には
より、心から敬意を表すものであります。
さて、現役の日々をふり返る今
己の人生をドライブに例えたなら
どのようにハンドルを持つべきかを迷い
考えぬ日はなかったように思う。
がむしゃらに、ゆとりのないまま、ただ、前へ前へと
進む道を走ってきたとも言える。
若くしての起業に、とにかく、前例のないことばかりの
業務体験であり、迷い込んだ世界から出口を探して
日々、奔走し続けていた姿は、傍から見れば
どんなに、あさましく映っていたことであろうか。
まもなく、引退後、5年をむかえるのだが、
つくづく、現役時代には見えなかったもの、かたちが
見えるようになってきたこの頃である。
そんな中で、特筆すべき人生での反省点は
「責任の所在を転嫁させる自分の甘え」であったなあ…と。
社会が悪い…、社員が悪い…、お客が悪い…
などなど、きりのない責任転嫁の数々。
「己の責任である意識」が欠如していたということだ。
そして、多くの人とのご縁をいただきながら
自分にとって、都合の良い人のみとの交流を広げ、
そうでない人とは交流を望まなかった人生は
そのドライブの技術と心得において間違っていたのだと
今、素直に認めることのできる、私自身なのである。
稀に「器の大きい」と言われる人がいるが、
その人達に、共通のポイントは
人を許し、認める采配の度量が見事であることではないか。
過去を思い、反省する日々。
残す人生のドライブ時間は僅かであるが
せめて、その度量を深めるべく運転技術と心得を
習得したいものである。
…というのは、前向きな意志であるのだが、
まあ、せめて、道路を逆走したり、
アクセルとブレーキを踏み間違えることのない
「もみじマークドライバー」
かず君でありたいものだ。
Posted by 三浦一夫 at 08:44
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