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<title>アラカンは今日も行く〜！｜フューネ三浦一夫のブログ</title>
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<description>フューネクリエイトアカデミー 理事長 三浦一夫がブログで吠える…。語る…。やっぱり吠える！</description>
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<pubDate>Tue, 01 Sep 2009 11:32:38 +0900</pubDate>
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<title>文通</title>
<description>な、なんと、なつかしい響きであろうか！「ぶ・ん・つ・う」思わず、若き日を思いだして、胸が「キュン！」となったご婦人がいらっしゃるのでは…。私たちの世代にとって若い頃の交際ツールは何と言っても文通…手紙のやりとりであった。現代のように携帯電話やメールの存在しない時代のアイテム。手紙をしたためて、自分の意思を伝える。恋しい気持ち、感謝の気持ち、お詫びの気持ち。このところ、話題になっている映画「三丁目の夕日」にも表わされているまさに、夢や希望に満ちていた時代の話である。その文通に関連したことであるが、先ごろ、こんなニュースを目にした。およそ、半世紀前遠く離れた長崎県と岩手県との間で中学一年生同士の男女が一年半に亘り、文通交際をしていたという。けれども、自然消滅。お互い音信不通になったのだが、先の東日本大震災で、岩手県に住むＡさんの安否が気になった、長崎県のＢさん。残っていた古い住所録を頼りに５０年の歳月を経て、手紙を出したのである。そして、なんと、無事の確認ができ、それをきっかけにまた新たな、文通が始まったというのだ。青春の思い出を大切にした心意気に拍手である。すばらしい！感動だあ！</description>
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<pubDate>Sat, 18 Feb 2012 13:26:57 +0900</pubDate>

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<title>頭のトレーニング</title>
<description>近頃、テレビで「たんなる物忘れ」と「痴呆症」は異なるのだという旨の宣伝が、やたらに目に付く。歳を重ねれば、物忘れが進むのは当然のこと。経験上、想像以上である。「ほらほら、あれあれ、う～む、あれだよ、ほら。」シニアどうしであれば、お互いなんの違和感もなくこんな調子で会話がすすむ。思えば、成長著しい子供であれば何でもすぐ覚え、記憶力も頼もしいかぎり。良きにつけ…悪しきにつけ…である。今更、戻らぬ能力を懐かしがってもいたしかたないこと。齢を重ねて自然に身につくいわゆる「老人力」がついたと言っても良いではないか。そして、その老人力を認めながらも同時に、トレーニングも必要だと思うのだ。私の場合は書くことでありこのブログは、その妙案の一つである。自分が感じたこと、思ったことなどもう、何冊のノートに書き留めたことであろうか。しばらく前に書き留めた文章を再読してみると、様々に物事を思い出すことになる。「記憶」よりまずは「記録」である。</description>
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<pubDate>Sat, 11 Feb 2012 16:42:07 +0900</pubDate>

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<title>社縁が切れた現実</title>
<description>定年まで勤務し続けた後には空白の時間がやってくる。いつものとおり、早起きの癖が身についておりついつい、夜明けと同時に目覚めてしまう。長年、通いなれた道筋に向かってしまうこともある。ああ、恐ろしき習慣なる仕業である。こんな体験された方、いらっしゃるのでは…。定年をむかえたなら「あれもやりたい、こんなこともやってみたい」と様々に思い描いてはいたもののさあ、いざ定年になってみるとせいぜい、一年続くかどうか…それ以上ともなると、飽きてくるものである。当然、社会との縁が切れれば、飲み会も激減。と、なると解決策として、いろいろ考えなければならずその為には、かなりしっかりとした自助方針、生活サイクル、趣味、運動等多くの目標をもって努力をしないと何もしない日々を送ることになるのだ。そして、その「何もしない」ということは恐ろしいことに脳の働きを鈍化させることになってしまう。はあぁ～…と、ため息をついているそこのアナタァ…！ご近所さんや友人、昔懐かしい級友などあらためて、交遊を結ぶことが大切ですぞ。現役時代を今更、懐かしがってもしかたのないこと。先のない現実を見据えて前向きに行こうじゃあ～りませんか。</description>
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<pubDate>Sun, 05 Feb 2012 15:22:30 +0900</pubDate>

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<title>歴史に見る人間ドラマ</title>
<description>書店の入口コーナーに山積みされたNHＫ大河ドラマ「平清盛」を10倍楽しく見る為の必須ガイド本を購入した。最近「歴女」なる言葉も流行っているようだが私も、大河ドラマ…ではなく歴史そのものが大好きである。連綿と続く時代の流れの中繰り広げられる「人間模様」に大いに魅力を感じるのである。様々な葛藤、金欲や愛憎等々人間の持つ本来の姿を、時を越えて垣間見ることができる。その本来の「業」が、なんと興味深いことか。そして何より、先人には多くのことを学ぶのだ。成功例に学ぶことは、確かに多いしだが、なんと言ってもその何十倍と失敗例に学ぶことが多く私の眼力スポットは、必ず、失敗の本源を研究することと言ってよい。「趣味の枠を超えた研究」と断言できる。仕事柄、人の最期に関わるのであるが失敗の連続、その延長線上に迎える終焉これもまた、その人らしい人生なのだ。失敗しても、失敗しても、明日へと生きていける生物体。これこそが、人間、最大の魅力のひとつではないか。</description>
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<pubDate>Sun, 29 Jan 2012 10:08:02 +0900</pubDate>

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<title>子と孫</title>
<description>ちょっと、ここらで休憩…とブログ作成の手を休めていたら、な、なんと７ヶ月もの時が過ぎてしまった。こりゃあ、いかん。早いもので、平成２４年新しい年が明け、すでに３週間。皆様は、どのようなお正月をお過ごしでしたかな。昨年起きた、東日本大震災や原発事故は未だに、大きな傷跡、影響を残したまま。せめて、幸い多き年になってほしいものと願うばかりである。さて、昨年、この未曾有の災害の年ではあったが私にとっては、孫が連続して誕生するという吉報の一年であった。親であれば、子の為には犠牲になっても厭わないもの。何とか立派な人間に育てることが最優先順位なのだ。その想いは、子が成長して、大人になっても続くもの。子の自主性を尊重し、じっと見守りどんな時でも子の味方であり、過去・現在・未来、親は子について、常に心配し腐心する。だが、子の成長が確実になった時から立場が逆転することも事実である。今度は子が親を教育する番だ。時代の流れの先の先を読む力は断然、子の方が優れているものだ。親でありながら子が示す新しい生き方に学ぶべきことが何と多いことか。まさに「老いては子に従え」である。昔から言い伝えられているこの言葉を心に留めることが肝心であろう。人並みの親の心をもったかず君が子育てを、今振り返れば、以上のようなことでまとめられるのだがあ～っ！な、なんと、孫は可愛いいものであろうか。なぜか？！……まあ、言うなれば「親のような責任がない。可愛がるのみ。」といったところであろうか。とうとう、かず君も「じいちゃあ～ん…」と呼ばれる身になってしまった。しかも、あちこちから…ムム～……。　</description>
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<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 12:26:10 +0900</pubDate>

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<title>百日の時が流れ…</title>
<description>大切な人が亡くなると、仏教ではその供養として様々に「仏事」「法事」を執り行う。そんな一連の供養の時として百日目、百ヶ日法要のことを卒哭忌（そっこくき、そっこうき）と呼ぶ。「卒」は卒業のごとく、終えるということ。「哭」は慟哭＝大声をあげてなげき、泣くこと。であるから、(哭)泣くことを(卒)終え、新しい気持ちになりましょう…ということであるのだが。東日本大震災から今日で百日目。死亡者数は１５,４５１名。未だに７,６９２名の人々が行方不明の状況であり夕方のニュースでは、ご遺族が「いつまでも悲しんでいたのでは、亡くなった人も喜ばないであろうから、気持ちを整理して、何とか前向きに切り替えていこうと思います。」と語っていたが真意は、「卒哭」の時にはほど遠いであろう。「時間は、あの日、あの時で止まったままです」という言葉を耳にしながら人の世の無常をあらためて思いふと、蕪村の「散りてのち面影に立つ牡丹かな」の句が浮かぶ。いつの日か、大切な人との思い出とともに歩み始められる時が訪れますよう、祈るばかりです。</description>
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<pubDate>Sat, 18 Jun 2011 23:27:47 +0900</pubDate>

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<title>朝は朝星、夕は夕星</title>
<description>昔の人たちは、実によく働いた。ほとんどが農業であり、よく働く人たちのことをこのような句で褒め称えたものである。「朝は朝星、夕は夕星」…言葉のご褒美であった。朝早くから、日の出を待たずに畑に向かい夕方は暗くなるまで働くことを、こう言ったのである。機械化には、ほど遠く、すべてを手作業で行なっていた為実に労働時間が長かった。その結果、無理な姿勢から腰の曲がった高齢者が多かったのであるが、最近では、めったに、そういう人に出会うことがない。骨は年齢とともに変化していくものであり、同時に、人それぞれの歩み方にその変化が表れるものなのだ。私の場合、見た目には、決して腰が曲がっているわけではないが、最近、家庭菜園、畑仕事に力を入れすぎ、腰の椎間板ヘルニアと診断された。３ヶ月程の通院を余儀なくされたのだ。ひとことで言えば「老化現象」と言うべき…か。昨日、今日でこうなった訳ではない。日々の暮らしの中、積み重ねられた末の現象であるのだが上記の腰の曲がった老人がほとんど、見受けられなくなったという現実は、人の体に優しい時代になったことの証明とも言えよう。今では死語とも言える「朝は朝星、夕は夕星」。現代風に言い換えるのであれば「夕は夕星、朝は朝星」。「さあ、遊びに出かけるぞ～！」と見上げる空には夕方の星。夜中まで遊び、「帰らにゃあ！」朝帰りに見上げる空には、すでに朝星。こんな皮肉とも言える言葉ではないか。ウ～ム、このところ、ブログにもイマイチ、力の入らない腰痛に悩むかず君なのだあ～。</description>
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<pubDate>Thu, 26 May 2011 09:27:37 +0900</pubDate>

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<title>アウトレットの落とし穴</title>
<description>私の健康法の一つはウォーキング。ほぼ、毎日1時間を歩き、時には朝晩と2時間をついやすこともある。早いもので、この健康法を始めて3年が経つのだがその為の靴を、遅くても半年毎には新品へと取り替えている。ここにご紹介するのは、その靴に関して私の身に降りかかった「こんなこと、あるかあ～っ？！」という体験談なのである。昨年の春、ＡＢＣマートラグーナ店でウォーキング用靴を購入した際の事。試し履きをし、フィット感もまずまずであったので早速、購入した。価格は7,000円程であった。新しい靴でのウォーキングは、心も軽やか。順調の日々が続くと思いきや、３、４日履いた頃であった。な、なんと、ノリが剥がれ、靴底が剥離してしまったのだ。しかも、左右、両方ともに。「なんだ、こりゃあ～っ！新品を購入したというのに…あ～あ～、ショックウ～！」早速、買い求めた店に出向き、クレームを告げた。ところが、それに対しての店員の言葉には驚くばかり。「当店はアウトレット店ですから…」いかにも不都合なことが起きてもいたしかたがないと言わんばかり。私は、ＡＢＣマートのブランドを信用して購入したのだ。まずは、せめて「誠に申し訳ございません。調査してお返事いたします」ぐらいの言葉があっても良いではないか。結局、一度、メーカーに問い合わせてほしいと申し入れ後日、電話での連絡をもらったのだが、更に、ショックは大きくなった。「この靴の製造年度は2000年ですので剥離するのは自然であります」あたかも、購入した私が、10年間、箱にしまいこみ、使用しなかったことが、原因であるかごときの回答であったのである。これが、アウトレットの実態なのだ。10年前の製造品を平気で店頭に並べ、販売しておいて…。よくぞ、こんな返答ができるものだ。そして、修理をしてほしいという声には、一切聞く耳をもたず、こう、言い放ったのである。「お買い上げ伝票はありますか？」「お買い上げの際の箱はありますか？」「この双方ともにないものには、何の保証もございません」…と。皆さんも、お気をつけくだされ。購入伝票は、必ず数週間、保管しておかなくてはね。もう二度と、あの店では買わんぞ～、と決意したかず君なのだ。</description>
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<pubDate>Tue, 26 Apr 2011 00:40:29 +0900</pubDate>

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<title>よみがえる</title>
<description>昨年末、各会館の正月用活けこみ奮闘中不覚にも、目に怪我をしてしまい以来、ブログの書き込みができなくなってしまった。痛さもあって、集中力は欠け活字を見ることばかりか書物のページを開くことさえ、辛く、おっくうであった。結局、眼科に通院し、３ヶ月余り。処方された目薬のお蔭で最近になって、やっと、もち直すことができたのである。まずは、ご無沙汰してしまったことをお詫び申し上げたい。さて、この度、東北地方を中心に起きた大地震では死者、行方不明者数、合わせて２万人以上であり原発事故をはじめ、想定外のできごととして史上最悪の災害となった。大切な人が、何の前ぶれもなく、一瞬にして帰らぬ人となってしまったのである。できうるならば「よみがえってほしい」と誰もが願ったのではないか。２００６年１０月のこと、兵庫県六甲山で約３週間前に遭難した男性が発見された際には、体温２２度、ほとんどの臓器が機能停止した状態であったが、救助後に回復しよみがえったという実話がある。毎日、報道を耳にしながら瓦礫の中から「よみがえる人」がいたなら…と私自身も願っていた日々であったのだが、すでに、明日で１ヶ月。今は、ご遺体の身元がわかりせめて、ご家族の元へかえることを願わずにはいられない。私が、ブログ書き込みによみがえることができたことなど取るに足りないことであるが今後とも、前向きに書き込んでいきたいと心を新たにした次第である。</description>
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<pubDate>Sun, 10 Apr 2011 20:37:26 +0900</pubDate>

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<title>顧客満足度の証はリピーター率にある</title>
<description>いわゆる、サービス業は、顧客にサービスを提供する。その結果、その提供内容から適正な利潤が生じ企業やそこで働く人々の生活を豊かにする。そして、それが継続して、より良いサービスを顧客に提供できるのである。これこそが、良好なサイクルなのだがさて、自分たちが提供しているサービスが顧客を本当に満足させているだろうか。そのことを、常に真剣に考え、向上させる努力をしているか否か。すべては、そこに係っている。ビジネスの本質は、相反する利益を同じ方向に向けることなのであるが、売る側の本音は、できるだけ高く売りたい…買う側の本音は、できるだけ安く買いたい…ということ。簡単に言ってしまえば、利益は相反しており天と地ほどの隔たりがある。そこで、間の橋渡し（引継ぎ）をしてくれるのが顧客満足度という唯一の道なのである。「サービス」に満足すればお客様は「それに見合ったお金」を払ってくれる訳だ。満足度が高ければ、必ず、永遠に続くものと確信する。永久不滅の根本原理と言っても過言ではない。応援してくれる人々の魂が、集団となってより一層、リピーター率を高めてくれるであろう。お蔭様で、フューネの歴史は、この種、一つひとつを大切に植え続けてきた４０年の月日であり成果として、いまだに、高いリピーター率を保持し続けているのである。驚異的数値を維持し続けていることは、唯一の自慢点であり「お客様、応援、誠に、ありがとうございます！」加えて、我が社の従業員の皆さん貴方たちのモチベーション高い力に心から感謝するものです。新年早々、お蔭様で忙しい日々であります。今年も、皆一丸となり「ＦＵＮＥ＝船」に乗って、出航ですぞ～！</description>
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<pubDate>Thu, 20 Jan 2011 08:34:29 +0900</pubDate>

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<title>コミュニケーションの手段</title>
<description>明けましておめでとうございます。新しい年の始まりをどのようにお過ごしでしょうか。この年始の挨拶を、メールを利用して済ませる人がずいぶん増えているようであるが私は、６０代とはいえ今時珍しい存在なのであろうかメール送信をほとんどしないのである。送られてくるメールを見るのみ…。送信するのは、事務連絡と緊急事態の時だけである。コミュニケーションの方法によってはコストの多少とそれなりのメリット、デメリットが生じるのであるが、相談事を含め、用事はほとんど対面でのコミュニケーションと決めているのだ。勿論、自筆の挨拶状＝手紙はとても大切なコミュニケーションだと思っているのだが。対面方式であれば、相手の反応、多様な情報を肌に感じながらニーズをつかむことができるのだ。しかし、直接、答えてはならない問題や、曖昧な返事では誤解を生じるというデメリットも確かにある。その点、メールは、様子をうかがいながら文章さえ上手に書けば、正確にタイミング良くしかも、すばやく、相手に伝わるものであろう。時間調整をする必要もなく、コストの面でも安い。しかし、なんでもかんでもメール…、というのはいかがなものか！今や、一日、起きている間中、メールのチェック病に罹り人と対話をしている時でさえ、また、恋人とデートの最中にも平気でメールに熱中する人が増えているようだ。私自身も、幾度となく目にする情景である。これでは、対話の用語も減り、魅力的な話し言葉が欠乏するのも当然であろう。…という話題から始まった２０１１年。対面式コミュニケーションを大切にしたい新年である。ブログ上だけでなく、ぜひ、対面でトークをお望みの方いらっしゃいましたら、かず君、いつでもお待ちしておりますぞ。本年も、よろしくお願い申し上げます。</description>
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<pubDate>Mon, 03 Jan 2011 22:41:19 +0900</pubDate>

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<title>初めての収穫</title>
<description>９月初めに植え付けをした野菜たちが一斉に収穫の時期を迎えた。キャベツに白菜、サンチェ、エンドウ、ブロッコリー等々沢山の宝物を得た。できるかぎり、自然のままでの大いなる成長を期待したけれど現実は厳しく、次から次への虫の襲来には、迷惑千万。負けるわけにはいかない虫との格闘がどれほど続いたことか。おかげさまで、新芽は成長し、日を追って伸びる姿に、ただただ、感嘆するばかりであった。そして、なんと正直な野菜たちであることか。手をかけ、愛情を注げば、初めての作付けでも何とかなるものだ。そのうえ「食」として、私の口に入りこのうえない満足感を与えてくれる。ところで、来春の楽しみのひとつに「いちご」の収穫がある。しかも、何種類ものいちごを植えてみたのだ。大げさに言えば、かず君農園での「いちご狩り」と言うべきか…。先日、成長の度合いを見守る中、一粒のいちごが、すでに立派な赤い実となっていることを発見した。「ぼけ咲き」と言っては、いちご様に失礼であろう。きっと、私の期待を予見して、こんなにも早く熟し顔を見せてくれたのであろう。有難いことである。感謝！感謝！それこそ、害虫に狙われないように見張り、味わってみようと心躍らせている日々である。「ああ、愛しい野菜、果実たちよ！」６０を過ぎての、わくわくしながらの初体験である。かたや、人間の成長となると、なかなか目に見えてかたちにならぬものであり人を育てることの難しさをあらためて、思い知る今日この頃でもあるのだ。</description>
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<pubDate>Sun, 19 Dec 2010 13:29:03 +0900</pubDate>

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<title>呼び出しボタンの役割</title>
<description>仕事で移動中、昼食にファミリーレストラン（以下ファミレス）を利用することがある。広いスペースにテーブルや椅子が配置され満席時には、相当の客で混雑する。店に入ると、アルバイトの店員らしき人物が席に案内し水を運び、マニュアルにそった挨拶の言葉をかける。そして、最後に「ご注文がお決まりになりましたら、このボタンを押してください」と言うのである。必ず、テーブルの隅には「呼び出しボタン」が設置されている。長く続くデフレのもとで、店側としては、利益確保の為、必死だ。数少ない店員で多くの客に対応する為にはこの呼び出しボタンが活躍するのだ。ある時、ふと、「このボタンを押さないと、注文を取りに来ないのだろうか？」と疑問をもち、ボタンを押さずに待ってみた。意地悪なことを試みたのだが、やはり、いくらたっても、来る気配がなかった。これ、ホント～のお話。少人数のスタッフでのメリットある運営方法とはいえデメリットもあるのだ。店員が「呼ばれたら行く」ではなく「呼ばれなければ行かない」という習慣を、より一層強化してしまった結果ではないだろうか。ずいぶん、値打ちなメニュー価格のファミレスの実態ではあるが飲食をサービスする仕事である以上常に、客の動向に注目しながら、三配（目配り・気配り・心配り）を忘れてはならないのだ。「ちょっと～、チョット、チョット～、いつまで、私を待たせるのよ～。」そんな小言が、聞こえてくるようである。便利なツールへと急変する世の中ではあるがお客様目線は、時に厳しく、実に鋭いもの。もちろん、フューネの諸君！他人ごとではありませんよ。君たちも、常に自らの足元を見つめ、省みることが肝要ですぞ。</description>
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<pubDate>Sun, 28 Nov 2010 10:37:45 +0900</pubDate>

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<title>四季を彩る</title>
<description>先代が花屋であった為、幼い頃から、私のまわりにはいつも、花木や花々があり、美しく、咲き誇っていた。しかし、それは、あくまでも大切な商品であり、愛でたり、自宅に飾って楽しむ余裕など、全く無いことが常であった。２０歳の頃、やがて、役に立つであろうと、茶華道の先生に師事し、幾度となく稽古に通ったことを今になって、なつかしく思い出すのであるがあれから４０年…。まさか、こんなに興味深く「花を活けること」を身近に感じるようになるとは、想像だにしなかった。四季をふり返ればこの趣味と特技を活かし、フューネの各会館においてお客様へのおもてなしの一環として「季節の花」や「一服のお茶」をテーマにしつらえ、お迎えの裏方を務めてきた一年でもあった。春、夏、秋、冬と美しい自然に恵まれている、この国の風情ではあるがその中でも、秋、特に晩秋の風景は格別。せつなさ、わびしさに、心を引きつけられるものである。花材として、ススキ、女郎花、藤袴、大好きな吾亦紅などが市場に並んだ瞬間、創作意欲が高まる、かず君なのだ。そして、作品が完成すれば、その一つひとつに命名するのも楽しいもの。「里山の晩秋」「秋風の響き」「秋深し朝の夢」「枯野の虫の音」…等々できあがりの後、想いのままに作品名を付け、館内のあちこちへと飾る。お客様が目に留め、心に留めてくださった時は、かず君、ヒジョ～に、ウレシ～イ！時には作品の前で「この季節の花を、柩に手向けて、送りたい」などと口にされるご遺族もおいでになり、花束にしてご用意をすることも。お役に立てて、最高に嬉しい瞬間である。別れの日、故人の生きた証としても季節の彩りは大切なものだ。そして、何より、ご遺族にとってはメモリアルとして、めぐり来る季節の始まりなのである。</description>
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<pubDate>Sun, 21 Nov 2010 08:18:40 +0900</pubDate>

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<title>趣味の農園</title>
<description>今年８月より、７０坪あまりの土地を借りて小さな農園の主（ぬし）となった。私の趣味の一角を占めることにも…。若かりし頃、手伝った経験があるとはいえ初体験の連続。すべて「体力と根気だ！」と始めたつもりであったが正直、こんなに大変だとは思わなかったなあ。まずは、長くのびた（１メートル程にも）草を刈り鍬とスコップで耕すことから始めた。特に、今年の夏は異常気象であり、朝、５時から６時半までの１時間半の作業で、体は、もう～、へとへと状態。よくぞ、熱中症で倒れなかったものだ。９月半ば、やっと、暑さも落ち着き畝をつくり、苗を植えて、やれやれであった。秋なす、秋トマト、サンチェにいちご、大根、白菜とうもろこしにパセリやキャベツ、等々あれもこれもと作付けをした。その結果、今、ぼちぼちと待望の早取りの時期を迎えているのだ。楽しみですなあ～！美味しい新芽を、次から次へと虫たちに襲われ一部に農薬を散布したが、基本的には農薬を使わない。虫取りに手間がかかっても、自然農法を体験したいものだ。害虫にも手を焼くが、それより何より雑草はなぜ、あれほどに強いのだろう？雨が降れば、すぐのびる。降らなくても、すぐのびる。草の大群は恐ろしい相手でありちょっとサボれば、畑は草だらけという有り様だ。昔から「農業は草との闘い」と言われているがまさにそのとおり。実際に体験してみると、その事実に驚くばかり。「お百姓さん、本当に有り難う！」と改めて、感謝するばかりのこの頃である。ところで、フューネの諸君！朝６時の定期連絡、電話の向こうで片手に鍬を持って、畑に向かうかず君の姿を想像することはできないだろうねえ…。</description>
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<pubDate>Sun, 07 Nov 2010 07:27:40 +0900</pubDate>

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<title>羨ましいのはヤドカリだ。</title>
<description>地元に根付いて生きてきたこともありこの歳になって、懐かしい同級生に、仕事中の葬儀会館内で出逢うこともしばしば。いつまで経っても、お互い、あの頃の「○○君」である。悲しみの中でのお手伝いの最中とはいえ、４０年以上の時を越えて、良き学生時代が、真に蘇りあっという間の楽しいひと時となる。その楽しさは、ビジネスの世界からも離れ損得なしに、子供の頃の「素の状態」に還っている。昨今、プライドや誇りといったものが、重要視される世の中であり社会に一歩踏み出した途端に、身にまとう「プライド」という殻で知らず知らずのうちに、自分自身を覆ってしまうハメに…。自分を守る為、何かを隠す為、様々である。しかし、それは、生まれた時には全く無かったものであり久しぶりの同級生との再会には、「プライド」という殻を脱ぎ捨て、自然な心で、時を楽しめるもの。つらつら思うに、私自身、社会に出て以来「プライド」の殻が厚く、ずいぶん、重くのしかかっていたものだ。己の身の丈に合った「殻」であったならば…という反省の念でもある。自らの快適な状態を保つべき、プライドの「殻」の厚さや大きさをそれは、ヤドカリが自由に住処を変えるがごとくに選ぶ技が必要であったなあ…と。ヤドカリの生き方を羨ましく思う瞬間である。世間体がどうだとか、馬鹿にされたくないだとかそんな、プライドとは、さっさとおさらばしてより良い人生を見い出すことにエネルギーを使うべき。そこに、きっと、充実した時を得ることができるのでは…。それにしても、久しぶりに逢う同級生はともに還暦を迎え、身体の変化などお互いさま。「久しぶりだなあ、○○君！元気そうで何より。」この挨拶も「あんた誰？　同級生だってえ？　○○君？」「知ら～ん。　わからん。　覚えとらん。」お互い、そんな日が来ないことを祈るのみですなあ。</description>
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<pubDate>Sat, 30 Oct 2010 08:12:30 +0900</pubDate>

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<title>言われたくない挨拶「お疲れ様」</title>
<description>最近、社員と、挨拶用語の練習をしたりおもてなし用語の勉強をしたりと前向きな行動を共にしている。が、その中にあって、そうは言われたくないなあ…という場面が「理事長～、お疲れ様で～す」という言葉で迎えられる時である。本音で言えば「私は、疲れてなんかいませんよ～っ」ということ。頻繁に「お疲れ様で～す」と、部下から言われると、言葉の使い方は間違っていないとはいえ、「そんな歳でもないぞ！」と怒りを感じてしまうことさえある。まあ、確かにこの意味は「仕事、大変ですよねえ。お互いがんばりましょうねえ」とエールをおくる言葉であるのだと理解したいのだが、正直いって快く受け入れられないのだ。　　相手を気遣う、極めて日本的な表現であり美徳が表れているのではと、無理やり理解をするのである。しかし「疲れる」という言葉自体が非常に消極的な表現であり前向きに事に取り組もうという時に相応しくないではないか。また、こんな解釈もできる。「あまり無理せず、程ほどに…」という意味合いにもなる。そう考えると、楽しくて、わくわくするほど前向きでもいやでいやで、辞めてしまいたいほどの後ろ向きでも一応に「お疲れ様」の一辺倒ではいささか色気がなさすぎるというもの。こういう時にこそ、せめてクッションとしての用語を付け足してみたらどうだろう。「○○さん、今日も一日、お疲れ様でした～」「みんなで乗り切った仕事、お疲れ様でした～」等々　内容を含めての表現にしてみればより良い言葉、響きになると思うのである。　「理事長、今日も一日、若々しいフットワークでしたねえ。お疲れ様でした。明日もよろしくお願いいたしま～す。」　　こんなふうに言われた日にゃあ「そ、そ、そう～かあい？　かず君、明日も頑張るからねえ！」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　なんてことに…ね。</description>
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<pubDate>Wed, 20 Oct 2010 08:37:02 +0900</pubDate>

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<title>人の運勢</title>
<description>戦国時代の英傑、織田信長が、商業における無税化を計り、全国の商人を近江に集結させた楽市楽座の制度は有名であり近代化への橋がけとしての試策となったことは皆の知るところである。近江商人のセオリーとも言うべき「三方良し」という言葉はまず「客の為に商売をする」。そして、一人の客の集合体が社会なのだから、それは「世間の為になることをする」。そうなると、自然に儲かり、それが「自分の為になる」。結局、「売り手」「買い手」「世間」三方に良いということなのだ。今やこの言葉はビジネスにおける理念ともなっており重要な教えが詰まった言葉でもある。また、ある意味、この教えは伝統的な教育の一環でもあるのだが真の意味を理解するには、人生経験を重ねてこそ…とも言える。ところで、このように、大切に、昔から語り継がれる言葉は少なくないのであるが皆さんは「運（うん）・鈍（どん）・根（こん）」という言葉をご存知だろうか？言語の発祥地はこの地方だと言われているのだがご存知の方「流石～！」である。これは、以下のような意味である。まず、人は「運」によって大きく左右されるものである。その「運」を切り開くには「鈍」、つまり、とことん、正直になって理屈を言わずただただ、働けということ。「根」は勿論、根気を指す。京セラの創業者、稲盛和夫氏は「世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めた時それは失敗になる」と言っている。諦めずに、幾度もチャレンジし「運」を導き出すのだ…と。運勢とは不思議なイタズラなどと言われるが、「運が９０％」「鈍が５％」「根が５％」単純ではあるが、こんな振り分けになるのではないか。そして、何と言っても、人生において重要なことは「どんな人と出逢えるのか」ということ。時には「運命的な出逢い」などと言ったりするが同性にしろ異性にしろ、人との出逢いが運勢を導くのである。　　　さて、皆さんのこれからの人生に　　　　　　　　　　　どんな出逢いがあるのでしょうか。　　　勿論、最終章とはいえ、私自身においても…。　　　　　　　　　　　　　　　楽しみですなあ。</description>
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<pubDate>Fri, 08 Oct 2010 17:35:17 +0900</pubDate>

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<title>　器の大きい人</title>
<description>昨日の第６回ＦＣＡ公開セミナーには多くの方がご参加くださりこの場を借りて、御礼申し上げます。講師の井形昭弘先生の８０歳を超えての矍鑠たるお姿また、前向きにご参加くださった高齢者の皆様にはより、心から敬意を表すものであります。さて、現役の日々をふり返る今己の人生をドライブに例えたならどのようにハンドルを持つべきかを迷い考えぬ日はなかったように思う。がむしゃらに、ゆとりのないまま、ただ、前へ前へと進む道を走ってきたとも言える。若くしての起業に、とにかく、前例のないことばかりの業務体験であり、迷い込んだ世界から出口を探して日々、奔走し続けていた姿は、傍から見ればどんなに、あさましく映っていたことであろうか。まもなく、引退後、５年をむかえるのだが、つくづく、現役時代には見えなかったもの、かたちが見えるようになってきたこの頃である。そんな中で、特筆すべき人生での反省点は「責任の所在を転嫁させる自分の甘え」であったなあ…と。社会が悪い…、社員が悪い…、お客が悪い…などなど、きりのない責任転嫁の数々。　「己の責任である意識」が欠如していたということだ。そして、多くの人とのご縁をいただきながら自分にとって、都合の良い人のみとの交流を広げ、そうでない人とは交流を望まなかった人生はそのドライブの技術と心得において間違っていたのだと今、素直に認めることのできる、私自身なのである。稀に「器の大きい」と言われる人がいるが、その人達に、共通のポイントは人を許し、認める采配の度量が見事であることではないか。過去を思い、反省する日々。残す人生のドライブ時間は僅かであるがせめて、その度量を深めるべく運転技術と心得を習得したいものである。…というのは、前向きな意志であるのだが、まあ、せめて、道路を逆走したり、アクセルとブレーキを踏み間違えることのない「もみじマークドライバー」かず君でありたいものだ。</description>
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<pubDate>Mon, 27 Sep 2010 08:44:14 +0900</pubDate>

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<title>「桃太郎」の話</title>
<description>司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公は伝説の名参謀、秋山真之である。彼の伝記（ＰＨＰ文庫）に面白い話が書かれていたので、ご披露したい。日本人にはお馴染み。私も幼い頃から、何の疑問ももたずに聞いた「桃太郎」の物語についてである。伝記の中で、父、平五郎が、息子、真之に語った桃太郎伝説の本当の意味の話。文言に表すと以下のとおりである。「桃太郎」とは「百太郎」だ。「百」はたくさんという意味であり「太郎」は日本男子の総称だから総じて、日本の多くの男子、ということである。お供として登場する「犬」「猿」「雉」は人間の心を表しており「犬」は忠実・勇敢「猿」は知恵があり敏捷で「雉」は我慢強く情け深いということ。　一方「犬」は大地を走れるが木に登れない「猿」は木には登れるが空を飛べない「雉」は空を飛べるが大地を走れない…とそれぞれ、独特な才能をもっている。「鬼ヶ島」とは海外の赤い髭の鬼どもが住むところだ。鬼のもつ「宝物」とは、金銀を指すのではなく有形・無形、鬼のもつ長所や利点…と考えてよいだろう。日本国男子よ、故郷でぐずぐずしていては駄目なのだ。海を越えて、外国に渡り、もって生まれた心の力「知」「仁」「勇」を活かして、外国人のもつ長所や利点を得てくるのだ…と。そんな意味を裏に秘めた昔話が「桃太郎」であるのだと父は、息子の真之に説明したのである。なるほど。この歳になって「むか～し、むかし、あるところ～に…」の物語を耳にすることさえ、遠ざかって久しいが、角度を変えて解釈し、人生六十路にして、日本昔話を楽しむのもよさそうだ。</description>
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<pubDate>Sun, 05 Sep 2010 15:38:21 +0900</pubDate>

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