ブーログ › アラカンは今日も行く〜!|フューネ三浦一夫のブログ
2012年01月22日
子と孫
ちょっと、ここらで休憩…と
ブログ作成の手を休めていたら、
な、なんと7ヶ月もの時が過ぎてしまった。
こりゃあ、いかん。
早いもので、平成24年
新しい年が明け、すでに3週間。
皆様は、どのようなお正月をお過ごしでしたかな。
昨年起きた、東日本大震災や原発事故は
未だに、大きな傷跡、影響を残したまま。
せめて、幸い多き年になってほしいものと
願うばかりである。
さて、昨年、この未曾有の災害の年ではあったが
私にとっては、孫が連続して誕生するという
吉報の一年であった。
親であれば、子の為には犠牲になっても厭わないもの。
何とか立派な人間に育てることが最優先順位なのだ。
その想いは、子が成長して、大人になっても続くもの。
子の自主性を尊重し、じっと見守り
どんな時でも子の味方であり、
過去・現在・未来、親は子について、常に心配し腐心する。
だが、子の成長が確実になった時から
立場が逆転することも事実である。
今度は子が親を教育する番だ。
時代の流れの先の先を読む力は
断然、子の方が優れているものだ。
親でありながら
子が示す新しい生き方に学ぶべきことが
何と多いことか。
まさに「老いては子に従え」である。
昔から言い伝えられているこの言葉を
心に留めることが肝心であろう。
人並みの親の心をもったかず君が
子育てを、今振り返れば、
以上のようなことでまとめられるのだがあ~っ!
な、なんと、孫は可愛いいものであろうか。
なぜか?!……まあ、言うなれば
「親のような責任がない。可愛がるのみ。」
といったところであろうか。
とうとう、かず君も
「じいちゃあ~ん…」と呼ばれる身になってしまった。
しかも、あちこちから…ムム~……。
ブログ作成の手を休めていたら、
な、なんと7ヶ月もの時が過ぎてしまった。
こりゃあ、いかん。
早いもので、平成24年
新しい年が明け、すでに3週間。
皆様は、どのようなお正月をお過ごしでしたかな。
昨年起きた、東日本大震災や原発事故は
未だに、大きな傷跡、影響を残したまま。
せめて、幸い多き年になってほしいものと
願うばかりである。
さて、昨年、この未曾有の災害の年ではあったが
私にとっては、孫が連続して誕生するという
吉報の一年であった。
親であれば、子の為には犠牲になっても厭わないもの。
何とか立派な人間に育てることが最優先順位なのだ。
その想いは、子が成長して、大人になっても続くもの。
子の自主性を尊重し、じっと見守り
どんな時でも子の味方であり、
過去・現在・未来、親は子について、常に心配し腐心する。
だが、子の成長が確実になった時から
立場が逆転することも事実である。
今度は子が親を教育する番だ。
時代の流れの先の先を読む力は
断然、子の方が優れているものだ。
親でありながら
子が示す新しい生き方に学ぶべきことが
何と多いことか。
まさに「老いては子に従え」である。
昔から言い伝えられているこの言葉を
心に留めることが肝心であろう。
人並みの親の心をもったかず君が
子育てを、今振り返れば、
以上のようなことでまとめられるのだがあ~っ!
な、なんと、孫は可愛いいものであろうか。
なぜか?!……まあ、言うなれば
「親のような責任がない。可愛がるのみ。」
といったところであろうか。
とうとう、かず君も
「じいちゃあ~ん…」と呼ばれる身になってしまった。
しかも、あちこちから…ムム~……。
Posted by 三浦一夫 at 12:26
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2011年06月18日
百日の時が流れ…
大切な人が亡くなると、
仏教ではその供養として
様々に「仏事」「法事」を執り行う。
そんな一連の供養の時として
百日目、百ヶ日法要のことを
卒哭忌(そっこくき、そっこうき)と呼ぶ。
「卒」は卒業のごとく、終えるということ。
「哭」は慟哭=大声をあげてなげき、泣くこと。
であるから、(哭)泣くことを(卒)終え、
新しい気持ちになりましょう…ということであるのだが。
東日本大震災から今日で百日目。
死亡者数は15,451名。
未だに7,692名の人々が行方不明の状況であり
夕方のニュースでは、ご遺族が
「いつまでも悲しんでいたのでは、亡くなった人も
喜ばないであろうから、気持ちを整理して、何とか
前向きに切り替えていこうと思います。」と語っていたが
真意は、「卒哭」の時にはほど遠いであろう。
「時間は、あの日、あの時で止まったままです」
という言葉を耳にしながら
人の世の無常をあらためて思い
ふと、蕪村の
「散りてのち面影に立つ牡丹かな」の句が浮かぶ。
いつの日か、大切な人との思い出とともに
歩み始められる時が訪れますよう、祈るばかりです。
仏教ではその供養として
様々に「仏事」「法事」を執り行う。
そんな一連の供養の時として
百日目、百ヶ日法要のことを
卒哭忌(そっこくき、そっこうき)と呼ぶ。
「卒」は卒業のごとく、終えるということ。
「哭」は慟哭=大声をあげてなげき、泣くこと。
であるから、(哭)泣くことを(卒)終え、
新しい気持ちになりましょう…ということであるのだが。
東日本大震災から今日で百日目。
死亡者数は15,451名。
未だに7,692名の人々が行方不明の状況であり
夕方のニュースでは、ご遺族が
「いつまでも悲しんでいたのでは、亡くなった人も
喜ばないであろうから、気持ちを整理して、何とか
前向きに切り替えていこうと思います。」と語っていたが
真意は、「卒哭」の時にはほど遠いであろう。
「時間は、あの日、あの時で止まったままです」
という言葉を耳にしながら
人の世の無常をあらためて思い
ふと、蕪村の
「散りてのち面影に立つ牡丹かな」の句が浮かぶ。
いつの日か、大切な人との思い出とともに
歩み始められる時が訪れますよう、祈るばかりです。
Posted by 三浦一夫 at 23:27
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2011年05月26日
朝は朝星、夕は夕星
昔の人たちは、実によく働いた。
ほとんどが農業であり、よく働く人たちのことを
このような句で褒め称えたものである。
「朝は朝星、夕は夕星」…言葉のご褒美であった。
朝早くから、日の出を待たずに畑に向かい
夕方は暗くなるまで働くことを、こう言ったのである。
機械化には、ほど遠く、すべてを手作業で行なっていた為
実に労働時間が長かった。
その結果、無理な姿勢から腰の曲がった高齢者が
多かったのであるが、最近では、めったに、
そういう人に出会うことがない。
骨は年齢とともに変化していくものであり、
同時に、人それぞれの歩み方に
その変化が表れるものなのだ。
私の場合、見た目には、決して腰が曲がっている
わけではないが、最近、家庭菜園、畑仕事に力を入れすぎ、
腰の椎間板ヘルニアと診断された。
3ヶ月程の通院を余儀なくされたのだ。
ひとことで言えば「老化現象」と言うべき…か。
昨日、今日でこうなった訳ではない。
日々の暮らしの中、積み重ねられた末の現象であるのだが
上記の腰の曲がった老人がほとんど、
見受けられなくなったという現実は、
人の体に優しい時代になったことの証明とも言えよう。
今では死語とも言える「朝は朝星、夕は夕星」。
現代風に言い換えるのであれば
「夕は夕星、朝は朝星」。
「さあ、遊びに出かけるぞ~!」と見上げる空には夕方の星。
夜中まで遊び、「帰らにゃあ!」
朝帰りに見上げる空には、すでに朝星。
こんな皮肉とも言える言葉ではないか。
ウ~ム、このところ、
ブログにもイマイチ、力の入らない
腰痛に悩むかず君なのだあ~
。
ほとんどが農業であり、よく働く人たちのことを
このような句で褒め称えたものである。
「朝は朝星、夕は夕星」…言葉のご褒美であった。
朝早くから、日の出を待たずに畑に向かい
夕方は暗くなるまで働くことを、こう言ったのである。
機械化には、ほど遠く、すべてを手作業で行なっていた為
実に労働時間が長かった。
その結果、無理な姿勢から腰の曲がった高齢者が
多かったのであるが、最近では、めったに、
そういう人に出会うことがない。
骨は年齢とともに変化していくものであり、
同時に、人それぞれの歩み方に
その変化が表れるものなのだ。
私の場合、見た目には、決して腰が曲がっている
わけではないが、最近、家庭菜園、畑仕事に力を入れすぎ、
腰の椎間板ヘルニアと診断された。
3ヶ月程の通院を余儀なくされたのだ。
ひとことで言えば「老化現象」と言うべき…か。
昨日、今日でこうなった訳ではない。
日々の暮らしの中、積み重ねられた末の現象であるのだが
上記の腰の曲がった老人がほとんど、
見受けられなくなったという現実は、
人の体に優しい時代になったことの証明とも言えよう。
今では死語とも言える「朝は朝星、夕は夕星」。
現代風に言い換えるのであれば
「夕は夕星、朝は朝星」。
「さあ、遊びに出かけるぞ~!」と見上げる空には夕方の星。
夜中まで遊び、「帰らにゃあ!」
朝帰りに見上げる空には、すでに朝星。
こんな皮肉とも言える言葉ではないか。
ウ~ム、このところ、
ブログにもイマイチ、力の入らない
腰痛に悩むかず君なのだあ~

。
Posted by 三浦一夫 at 09:27
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2011年04月26日
アウトレットの落とし穴
私の健康法の一つはウォーキング。
ほぼ、毎日1時間を歩き、時には朝晩と
2時間をついやすこともある。
早いもので、この健康法を始めて3年が経つのだが
その為の靴を、遅くても半年毎には
新品へと取り替えている。
ここにご紹介するのは、その靴に関して
私の身に降りかかった「こんなこと、あるかあ~っ?!」という
体験談なのである。
昨年の春、ABCマートラグーナ店でウォーキング用靴を
購入した際の事。
試し履きをし、フィット感もまずまずであったので
早速、購入した。価格は7,000円程であった。
新しい靴でのウォーキングは、心も軽やか
。
順調の日々が続くと思いきや、3、4日履いた頃であった。
な、なんと、ノリが剥がれ、靴底が剥離してしまったのだ
。
しかも、左右、両方ともに。
「なんだ、こりゃあ~っ!新品を購入したというのに…
あ~あ~、ショックウ~!」
早速、買い求めた店に出向き、クレームを告げた。
ところが、それに対しての店員の言葉には驚くばかり。
「当店はアウトレット店ですから…」
いかにも不都合なことが起きてもいたしかたがないと言わんばかり。
私は、ABCマートのブランドを信用して購入したのだ。
まずは、せめて「誠に申し訳ございません。調査して
お返事いたします」ぐらいの言葉があっても良いではないか。
結局、一度、メーカーに問い合わせてほしいと申し入れ
後日、電話での連絡をもらったのだが、
更に、ショックは大きくなった。
「この靴の製造年度は2000年ですので剥離するのは
自然であります」
あたかも、購入した私が、10年間、箱にしまいこみ、使用しなかった
ことが、原因であるかごときの回答であったのである。
これが、アウトレットの実態なのだ。
10年前の製造品を平気で店頭に並べ、販売しておいて…。
よくぞ、こんな返答ができるものだ。
そして、修理をしてほしいという声には、一切聞く耳をもたず、
こう、言い放ったのである。
「お買い上げ伝票はありますか?」
「お買い上げの際の箱はありますか?」
「この双方ともにないものには、何の保証もございません」…と。
皆さんも、お気をつけくだされ。
購入伝票は、必ず数週間、保管しておかなくてはね。
もう二度と、あの店では買わんぞ~、と決意したかず君なのだ
。
ほぼ、毎日1時間を歩き、時には朝晩と
2時間をついやすこともある。
早いもので、この健康法を始めて3年が経つのだが
その為の靴を、遅くても半年毎には
新品へと取り替えている。
ここにご紹介するのは、その靴に関して
私の身に降りかかった「こんなこと、あるかあ~っ?!」という
体験談なのである。
昨年の春、ABCマートラグーナ店でウォーキング用靴を
購入した際の事。
試し履きをし、フィット感もまずまずであったので
早速、購入した。価格は7,000円程であった。
新しい靴でのウォーキングは、心も軽やか
。順調の日々が続くと思いきや、3、4日履いた頃であった。
な、なんと、ノリが剥がれ、靴底が剥離してしまったのだ
。しかも、左右、両方ともに。
「なんだ、こりゃあ~っ!新品を購入したというのに…
あ~あ~、ショックウ~!」
早速、買い求めた店に出向き、クレームを告げた。
ところが、それに対しての店員の言葉には驚くばかり。
「当店はアウトレット店ですから…」
いかにも不都合なことが起きてもいたしかたがないと言わんばかり。
私は、ABCマートのブランドを信用して購入したのだ。
まずは、せめて「誠に申し訳ございません。調査して
お返事いたします」ぐらいの言葉があっても良いではないか。
結局、一度、メーカーに問い合わせてほしいと申し入れ
後日、電話での連絡をもらったのだが、
更に、ショックは大きくなった。
「この靴の製造年度は2000年ですので剥離するのは
自然であります」
あたかも、購入した私が、10年間、箱にしまいこみ、使用しなかった
ことが、原因であるかごときの回答であったのである。
これが、アウトレットの実態なのだ。
10年前の製造品を平気で店頭に並べ、販売しておいて…。
よくぞ、こんな返答ができるものだ。
そして、修理をしてほしいという声には、一切聞く耳をもたず、
こう、言い放ったのである。
「お買い上げ伝票はありますか?」
「お買い上げの際の箱はありますか?」
「この双方ともにないものには、何の保証もございません」…と。
皆さんも、お気をつけくだされ。
購入伝票は、必ず数週間、保管しておかなくてはね。
もう二度と、あの店では買わんぞ~、と決意したかず君なのだ

。
Posted by 三浦一夫 at 00:40
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2011年04月10日
よみがえる
昨年末、各会館の正月用活けこみ奮闘中
不覚にも、目に怪我をしてしまい
以来、ブログの書き込みができなくなってしまった。
痛さもあって、集中力は欠け
活字を見ることばかりか
書物のページを開くことさえ、辛く、おっくうであった。
結局、眼科に通院し、3ヶ月余り。
処方された目薬のお蔭で
最近になって、やっと、もち直すことができたのである。
まずは、ご無沙汰してしまったことをお詫び申し上げたい。
さて、この度、東北地方を中心に起きた大地震では
死者、行方不明者数、合わせて2万人以上であり
原発事故をはじめ、想定外のできごととして
史上最悪の災害となった。
大切な人が、何の前ぶれもなく、一瞬にして
帰らぬ人となってしまったのである。
できうるならば「よみがえってほしい」と
誰もが願ったのではないか。
2006年10月のこと、兵庫県六甲山で
約3週間前に遭難した男性が
発見された際には、体温22度、ほとんどの臓器が
機能停止した状態であったが、救助後に回復し
よみがえったという実話がある。
毎日、報道を耳にしながら
瓦礫の中から「よみがえる人」がいたなら…と
私自身も願っていた日々であったのだが、すでに、明日で1ヶ月。
今は、ご遺体の身元がわかり
せめて、ご家族の元へかえることを願わずにはいられない。
私が、ブログ書き込みによみがえることができたことなど
取るに足りないことであるが
今後とも、前向きに書き込んでいきたいと
心を新たにした次第である。
不覚にも、目に怪我をしてしまい
以来、ブログの書き込みができなくなってしまった。
痛さもあって、集中力は欠け
活字を見ることばかりか
書物のページを開くことさえ、辛く、おっくうであった。
結局、眼科に通院し、3ヶ月余り。
処方された目薬のお蔭で
最近になって、やっと、もち直すことができたのである。
まずは、ご無沙汰してしまったことをお詫び申し上げたい。
さて、この度、東北地方を中心に起きた大地震では
死者、行方不明者数、合わせて2万人以上であり
原発事故をはじめ、想定外のできごととして
史上最悪の災害となった。
大切な人が、何の前ぶれもなく、一瞬にして
帰らぬ人となってしまったのである。
できうるならば「よみがえってほしい」と
誰もが願ったのではないか。
2006年10月のこと、兵庫県六甲山で
約3週間前に遭難した男性が
発見された際には、体温22度、ほとんどの臓器が
機能停止した状態であったが、救助後に回復し
よみがえったという実話がある。
毎日、報道を耳にしながら
瓦礫の中から「よみがえる人」がいたなら…と
私自身も願っていた日々であったのだが、すでに、明日で1ヶ月。
今は、ご遺体の身元がわかり
せめて、ご家族の元へかえることを願わずにはいられない。
私が、ブログ書き込みによみがえることができたことなど
取るに足りないことであるが
今後とも、前向きに書き込んでいきたいと
心を新たにした次第である。
Posted by 三浦一夫 at 20:37
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2011年01月20日
顧客満足度の証はリピーター率にある
いわゆる、サービス業は、顧客にサービスを提供する。
その結果、その提供内容から適正な利潤が生じ
企業やそこで働く人々の生活を豊かにする。
そして、それが継続して、より良いサービスを
顧客に提供できるのである。
これこそが、良好なサイクルなのだが
さて、自分たちが提供しているサービスが
顧客を本当に満足させているだろうか。
そのことを、常に真剣に考え、向上させる努力を
しているか否か。すべては、そこに係っている。
ビジネスの本質は、相反する利益を同じ方向に向けること
なのであるが、売る側の本音は、できるだけ高く売りたい…
買う側の本音は、できるだけ安く買いたい…ということ。
簡単に言ってしまえば、利益は相反しており
天と地ほどの隔たりがある。
そこで、間の橋渡し(引継ぎ)をしてくれるのが
顧客満足度という唯一の道なのである。
「サービス」に満足すれば
お客様は「それに見合ったお金」を払ってくれる訳だ。
満足度が高ければ、必ず、永遠に続くものと確信する。
永久不滅の根本原理と言っても過言ではない。
応援してくれる人々の魂が、集団となって
より一層、リピーター率を高めてくれるであろう。
お蔭様で、フューネの歴史は、この種、一つひとつを
大切に植え続けてきた40年の月日であり
成果として、いまだに、高いリピーター率を
保持し続けているのである。
驚異的数値を維持し続けていることは、唯一の自慢点であり
「お客様、応援、誠に、ありがとうございます!」
加えて、我が社の従業員の皆さん
貴方たちのモチベーション高い力に心から感謝するものです。
新年早々、お蔭様で忙しい日々であります。
今年も、皆一丸となり
「FUNE=船」に乗って、出航ですぞ~!
その結果、その提供内容から適正な利潤が生じ
企業やそこで働く人々の生活を豊かにする。
そして、それが継続して、より良いサービスを
顧客に提供できるのである。
これこそが、良好なサイクルなのだが
さて、自分たちが提供しているサービスが
顧客を本当に満足させているだろうか。
そのことを、常に真剣に考え、向上させる努力を
しているか否か。すべては、そこに係っている。
ビジネスの本質は、相反する利益を同じ方向に向けること
なのであるが、売る側の本音は、できるだけ高く売りたい…
買う側の本音は、できるだけ安く買いたい…ということ。
簡単に言ってしまえば、利益は相反しており
天と地ほどの隔たりがある。
そこで、間の橋渡し(引継ぎ)をしてくれるのが
顧客満足度という唯一の道なのである。
「サービス」に満足すれば
お客様は「それに見合ったお金」を払ってくれる訳だ。
満足度が高ければ、必ず、永遠に続くものと確信する。
永久不滅の根本原理と言っても過言ではない。
応援してくれる人々の魂が、集団となって
より一層、リピーター率を高めてくれるであろう。
お蔭様で、フューネの歴史は、この種、一つひとつを
大切に植え続けてきた40年の月日であり
成果として、いまだに、高いリピーター率を
保持し続けているのである。
驚異的数値を維持し続けていることは、唯一の自慢点であり
「お客様、応援、誠に、ありがとうございます!」
加えて、我が社の従業員の皆さん
貴方たちのモチベーション高い力に心から感謝するものです。
新年早々、お蔭様で忙しい日々であります。
今年も、皆一丸となり
「FUNE=船」に乗って、出航ですぞ~!
Posted by 三浦一夫 at 08:34
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2011年01月03日
コミュニケーションの手段
明けましておめでとうございます。
新しい年の始まりをどのようにお過ごしでしょうか。
この年始の挨拶を、メールを利用して済ませる人が
ずいぶん増えているようであるが
私は、60代とはいえ
今時珍しい存在なのであろうか
メール送信をほとんどしないのである。
送られてくるメールを見るのみ…。
送信するのは、事務連絡と緊急事態の時だけである。
コミュニケーションの方法によっては
コストの多少とそれなりのメリット、デメリットが
生じるのであるが、相談事を含め、用事はほとんど
対面でのコミュニケーションと決めているのだ。
勿論、自筆の挨拶状=手紙はとても大切なコミュニケーション
だと思っているのだが。
対面方式であれば、相手の反応、多様な情報を肌に感じながら
ニーズをつかむことができるのだ。
しかし、直接、答えてはならない問題や、曖昧な返事では
誤解を生じるというデメリットも確かにある。
その点、メールは、様子をうかがいながら
文章さえ上手に書けば、正確にタイミング良く
しかも、すばやく、相手に伝わるものであろう。
時間調整をする必要もなく、コストの面でも安い。
しかし、なんでもかんでもメール…、というのは
いかがなものか!
今や、一日、起きている間中、メールのチェック病に罹り
人と対話をしている時でさえ、また、恋人とデートの最中にも
平気でメールに熱中する人が増えているようだ。
私自身も、幾度となく目にする情景である。
これでは、対話の用語も減り、魅力的な話し言葉が
欠乏するのも当然であろう。
…という話題から始まった2011年。
対面式コミュニケーションを大切にしたい新年である。
ブログ上だけでなく、ぜひ、対面でトークをお望みの方
いらっしゃいましたら、かず君、いつでもお待ちしておりますぞ。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
新しい年の始まりをどのようにお過ごしでしょうか。
この年始の挨拶を、メールを利用して済ませる人が
ずいぶん増えているようであるが
私は、60代とはいえ
今時珍しい存在なのであろうか
メール送信をほとんどしないのである。
送られてくるメールを見るのみ…。
送信するのは、事務連絡と緊急事態の時だけである。
コミュニケーションの方法によっては
コストの多少とそれなりのメリット、デメリットが
生じるのであるが、相談事を含め、用事はほとんど
対面でのコミュニケーションと決めているのだ。
勿論、自筆の挨拶状=手紙はとても大切なコミュニケーション
だと思っているのだが。
対面方式であれば、相手の反応、多様な情報を肌に感じながら
ニーズをつかむことができるのだ。
しかし、直接、答えてはならない問題や、曖昧な返事では
誤解を生じるというデメリットも確かにある。
その点、メールは、様子をうかがいながら
文章さえ上手に書けば、正確にタイミング良く
しかも、すばやく、相手に伝わるものであろう。
時間調整をする必要もなく、コストの面でも安い。
しかし、なんでもかんでもメール…、というのは
いかがなものか!
今や、一日、起きている間中、メールのチェック病に罹り
人と対話をしている時でさえ、また、恋人とデートの最中にも
平気でメールに熱中する人が増えているようだ。
私自身も、幾度となく目にする情景である。
これでは、対話の用語も減り、魅力的な話し言葉が
欠乏するのも当然であろう。
…という話題から始まった2011年。
対面式コミュニケーションを大切にしたい新年である。
ブログ上だけでなく、ぜひ、対面でトークをお望みの方
いらっしゃいましたら、かず君、いつでもお待ちしておりますぞ。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
Posted by 三浦一夫 at 22:41
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2010年12月19日
初めての収穫
9月初めに植え付けをした野菜たちが
一斉に収穫の時期を迎えた
。
キャベツに白菜、サンチェ、エンドウ、ブロッコリー等々
沢山の宝物を得た。
できるかぎり、自然のままでの大いなる成長を期待したけれど
現実は厳しく、次から次への虫の襲来には、迷惑千万。
負けるわけにはいかない虫との格闘がどれほど続いたことか。
おかげさまで、新芽は成長し、日を追って伸びる姿に、
ただただ、感嘆するばかりであった。
そして、なんと正直な野菜たちであることか。
手をかけ、愛情を注げば、初めての作付けでも何とかなるものだ。
そのうえ「食」として、私の口に入り
このうえない満足感を与えてくれる。
ところで、来春の楽しみのひとつに「いちご」の収穫がある。
しかも、何種類ものいちごを植えてみたのだ。
大げさに言えば、かず君農園での「いちご狩り」と言うべきか…。
先日、成長の度合いを見守る中、一粒のいちごが、すでに
立派な赤い実となっていることを発見した。
「ぼけ咲き」と言っては、いちご様に失礼であろう。
きっと、私の期待を予見して、こんなにも早く熟し
顔を見せてくれたのであろう。有難いことである。感謝!感謝!
それこそ、害虫に狙われないように見張り、味わってみようと
心躍らせている日々である。
「ああ、愛しい野菜、果実たちよ!」
60を過ぎての、わくわくしながらの初体験である。
かたや、人間の成長となると、なかなか
目に見えてかたちにならぬものであり
人を育てることの難しさを
あらためて、思い知る
今日この頃でもあるのだ。
一斉に収穫の時期を迎えた

。キャベツに白菜、サンチェ、エンドウ、ブロッコリー等々
沢山の宝物を得た。
できるかぎり、自然のままでの大いなる成長を期待したけれど
現実は厳しく、次から次への虫の襲来には、迷惑千万。
負けるわけにはいかない虫との格闘がどれほど続いたことか。
おかげさまで、新芽は成長し、日を追って伸びる姿に、
ただただ、感嘆するばかりであった。
そして、なんと正直な野菜たちであることか。
手をかけ、愛情を注げば、初めての作付けでも何とかなるものだ。
そのうえ「食」として、私の口に入り
このうえない満足感を与えてくれる。
ところで、来春の楽しみのひとつに「いちご」の収穫がある。
しかも、何種類ものいちごを植えてみたのだ。
大げさに言えば、かず君農園での「いちご狩り」と言うべきか…。
先日、成長の度合いを見守る中、一粒のいちごが、すでに
立派な赤い実となっていることを発見した。
「ぼけ咲き」と言っては、いちご様に失礼であろう。
きっと、私の期待を予見して、こんなにも早く熟し
顔を見せてくれたのであろう。有難いことである。感謝!感謝!
それこそ、害虫に狙われないように見張り、味わってみようと
心躍らせている日々である。
「ああ、愛しい野菜、果実たちよ!」
60を過ぎての、わくわくしながらの初体験である。
かたや、人間の成長となると、なかなか
目に見えてかたちにならぬものであり
人を育てることの難しさを
あらためて、思い知る
今日この頃でもあるのだ。
Posted by 三浦一夫 at 13:29
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2010年11月28日
呼び出しボタンの役割
仕事で移動中、昼食に
ファミリーレストラン(以下ファミレス)を利用することがある。
広いスペースにテーブルや椅子が配置され
満席時には、相当の客で混雑する。
店に入ると、アルバイトの店員らしき人物が席に案内し
水を運び、マニュアルにそった挨拶の言葉をかける。
そして、最後に
「ご注文がお決まりになりましたら、このボタンを押してください」と言うのである。
必ず、テーブルの隅には「呼び出しボタン」が設置されている。
長く続くデフレのもとで、店側としては、利益確保の為、必死だ。
数少ない店員で多くの客に対応する為には
この呼び出しボタンが活躍するのだ。
ある時、ふと、
「このボタンを押さないと、注文を取りに来ないのだろうか?」と
疑問をもち、ボタンを押さずに待ってみた。
意地悪なことを試みたのだが、やはり、いくらたっても、来る気配が
なかった。これ、ホント~のお話。
少人数のスタッフでのメリットある運営方法とはいえ
デメリットもあるのだ。
店員が「呼ばれたら行く」ではなく「呼ばれなければ行かない」という習慣を、より一層強化してしまった結果ではないだろうか。
ずいぶん、値打ちなメニュー価格のファミレスの実態ではあるが
飲食をサービスする仕事である以上
常に、客の動向に注目しながら、三配(目配り・気配り・心配り)を忘れてはならないのだ。
「ちょっと~、チョット、チョット~、いつまで、私を待たせるのよ~。」そんな小言が、聞こえてくるようである。
便利なツールへと急変する世の中ではあるが
お客様目線は、時に厳しく、実に鋭いもの。
もちろん、フューネの諸君!
他人ごとではありませんよ。
君たちも、常に自らの足元を見つめ、省みることが肝要ですぞ。
ファミリーレストラン(以下ファミレス)を利用することがある。
広いスペースにテーブルや椅子が配置され
満席時には、相当の客で混雑する。
店に入ると、アルバイトの店員らしき人物が席に案内し
水を運び、マニュアルにそった挨拶の言葉をかける。
そして、最後に
「ご注文がお決まりになりましたら、このボタンを押してください」と言うのである。
必ず、テーブルの隅には「呼び出しボタン」が設置されている。
長く続くデフレのもとで、店側としては、利益確保の為、必死だ。
数少ない店員で多くの客に対応する為には
この呼び出しボタンが活躍するのだ。
ある時、ふと、
「このボタンを押さないと、注文を取りに来ないのだろうか?」と
疑問をもち、ボタンを押さずに待ってみた。
意地悪なことを試みたのだが、やはり、いくらたっても、来る気配が
なかった。これ、ホント~のお話。
少人数のスタッフでのメリットある運営方法とはいえ
デメリットもあるのだ。
店員が「呼ばれたら行く」ではなく「呼ばれなければ行かない」という習慣を、より一層強化してしまった結果ではないだろうか。
ずいぶん、値打ちなメニュー価格のファミレスの実態ではあるが
飲食をサービスする仕事である以上
常に、客の動向に注目しながら、三配(目配り・気配り・心配り)を忘れてはならないのだ。
「ちょっと~、チョット、チョット~、いつまで、私を待たせるのよ~。」そんな小言が、聞こえてくるようである。
便利なツールへと急変する世の中ではあるが
お客様目線は、時に厳しく、実に鋭いもの。
もちろん、フューネの諸君!
他人ごとではありませんよ。
君たちも、常に自らの足元を見つめ、省みることが肝要ですぞ。
Posted by 三浦一夫 at 10:37
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2010年11月21日
四季を彩る
先代が花屋であった為、幼い頃から、私のまわりには
いつも、花木や花々があり、美しく、咲き誇っていた。
しかし、それは、あくまでも大切な商品であり、
愛でたり、自宅に飾って楽しむ余裕など、
全く無いことが常であった。
20歳の頃、やがて、役に立つであろうと、
茶華道の先生に師事し、幾度となく稽古に通ったことを
今になって、なつかしく思い出すのであるが
あれから40年…。
まさか、こんなに興味深く「花を活けること」を
身近に感じるようになるとは、想像だにしなかった。
四季をふり返れば
この趣味と特技を活かし、フューネの各会館において
お客様へのおもてなしの一環として
「季節の花」や「一服のお茶」をテーマに
しつらえ、お迎えの裏方を務めてきた一年でもあった。
春、夏、秋、冬と美しい自然に恵まれている、この国の風情ではあるが
その中でも、秋、特に晩秋の風景は格別。
せつなさ、わびしさに、心を引きつけられるものである。
花材として、ススキ、女郎花、藤袴、大好きな吾亦紅などが
市場に並んだ瞬間、創作意欲が高まる、かず君なのだ。
そして、作品が完成すれば、その一つひとつに命名するのも楽しいもの。
「里山の晩秋」「秋風の響き」「秋深し朝の夢」「枯野の虫の音」…等々
できあがりの後、想いのままに作品名を付け、館内のあちこちへと飾る。
お客様が目に留め、心に留めてくださった時は、
かず君、ヒジョ~に、ウレシ~イ!
時には作品の前で
「この季節の花を、柩に手向けて、送りたい」などと口にされる
ご遺族もおいでになり、花束にしてご用意をすることも。
お役に立てて、最高に嬉しい瞬間である。
別れの日、故人の生きた証としても
季節の彩りは大切なものだ。
そして、何より、ご遺族にとっては
メモリアルとして、めぐり来る季節の始まりなのである。
いつも、花木や花々があり、美しく、咲き誇っていた。
しかし、それは、あくまでも大切な商品であり、
愛でたり、自宅に飾って楽しむ余裕など、
全く無いことが常であった。
20歳の頃、やがて、役に立つであろうと、
茶華道の先生に師事し、幾度となく稽古に通ったことを
今になって、なつかしく思い出すのであるが
あれから40年…。
まさか、こんなに興味深く「花を活けること」を
身近に感じるようになるとは、想像だにしなかった。
四季をふり返れば
この趣味と特技を活かし、フューネの各会館において
お客様へのおもてなしの一環として
「季節の花」や「一服のお茶」をテーマに
しつらえ、お迎えの裏方を務めてきた一年でもあった。
春、夏、秋、冬と美しい自然に恵まれている、この国の風情ではあるが
その中でも、秋、特に晩秋の風景は格別。
せつなさ、わびしさに、心を引きつけられるものである。
花材として、ススキ、女郎花、藤袴、大好きな吾亦紅などが
市場に並んだ瞬間、創作意欲が高まる、かず君なのだ。
そして、作品が完成すれば、その一つひとつに命名するのも楽しいもの。
「里山の晩秋」「秋風の響き」「秋深し朝の夢」「枯野の虫の音」…等々
できあがりの後、想いのままに作品名を付け、館内のあちこちへと飾る。
お客様が目に留め、心に留めてくださった時は、
かず君、ヒジョ~に、ウレシ~イ!

時には作品の前で
「この季節の花を、柩に手向けて、送りたい」などと口にされる
ご遺族もおいでになり、花束にしてご用意をすることも。
お役に立てて、最高に嬉しい瞬間である。
別れの日、故人の生きた証としても
季節の彩りは大切なものだ。
そして、何より、ご遺族にとっては
メモリアルとして、めぐり来る季節の始まりなのである。
Posted by 三浦一夫 at 08:18
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